82 劣等、悔やみ ページ32
しどろもどろになりながら返す。
先生も「そう……サッカー部の」と言ったきり、何を言えばいいのかわからなくなったのだろうか、黙ってしまった。
──そういえば先生の教室、ここから歩いて十分くらいのところにあったんだっけか。
同じ町に住んでいて今まで会わなかったのが不思議なくらいだ。
「ごめんなさい、急に話しかけたりして……迷惑よね」
先生がそう言って、申し訳なさそうに笑った。そんな顔をさせてしまったことに、私の中には猛烈な後悔の念が巻き起こった。
違う、違う。迷惑をかけたのは私の方なのに。
考えるより前に勢いよく頭を下げた。
「五年前は──すみませんでした。まともにご挨拶もしないで」
何故もっと早くこうしなかった。ずっと逃げ続けて、記憶を押し隠して。
五年も、目を逸らしていた。
「そんな……謝らないで、頭を上げてちょうだい」
肩に優しく手が置かれる。ゆっくりと顔を上げると、そこには穏やかな笑みがあった。
「確かに最初は勿体ないと思っていたわ。貴方は素晴らしい感覚を持っていたから、これからどんどん伸びていくはずなのにって」
この人は──いつもそうだった。こうして静かに語りかけるように、色んなことを教えてくれた。
「でも貴方が、弦を置くに足るようなことに出会ったんだと考えると……引き止められなかった。バイオリン以外のことでも何か輝けるものを見つけたのなら、応援しようって思えたの」
暖かな言葉に愕然とする。
たかが教え子一人。やめていった人間のことなど、日々の生活を送る中で忘却の彼方に消えていったと思っていたのに。
「もし……もしまたバイオリンをやってみようと思える時が来たら……そうね、教室に通えなんて言わない。自分の思うままに弾いてくれたら嬉しいわ」
先生は最後にそれだけ言って、去っていった。
残された私はしばらくそこに立ち尽くしていたが、やがてとぼとぼと歩き出す。
頭の中を次々過ぎるのは、流麗なバイオリンの旋律と思い出。
左肩と顎でボディを挟み、右手に持った弓を弦に乗せるあの瞬間。
新品の弓に一生懸命に松ヤニを擦っていた時に漂う、あのツンとした独特の匂い。
──『もう、バイオリンはしないのか?』
神童。
何故あの時、あんなことを聞いてきたのだろう。
私の平凡な音色は、神童には釣り合わない。
あの素晴らしいピアノにはもっと、プロの演奏が相応しいはずだ。
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作者名:キメラ | 作成日時:2022年2月15日 9時