【歌い手】＿きみのいろ＿#10【ROC】

453話 ページ45

みっともない先輩を見て、どう思ったのだろう


『…なにさ、』

飲み終わったグラスをしまい、キッチンを出た拍子に目に入った
アップライトピアノが、こっちを見ている気がした。

『わかってるよ』

けけさんに謝ってないし、しんさんにお礼も言ってない

(…お礼?)

なんて?「助けてくれてありがとうございました」って?

違う、そんなんじゃない
確かにあの時けけさんが怖くて身動きがとれなかったけど、それは私が悪かったんだ

――しんさんがどういうつもりでああしたのかはわからない

でも、それに甘えてあそこから逃げたのは私だ
しんさんに伝えなくちゃいけないのは、たぶん、こういうことだ。

お礼を言うとしたら、あの場で金縛りにあったみたいになっていた私を、覚ましてくれたことに、だ。それ以上は自分で責任をとらなくちゃいけない。


イスに座る。ピアノの前のイス。ずっといるとお尻が痛くなるくらい、固い。

フタを開けて布をぱたぱた折った。
独特の、鍵盤の匂いと、ほんの少し舞うほこり。

(ふたりとも、今頃きっと幸せにしてるだろうな)

２階でそれぞれの相手に電話をしているであろう、花さんとれをるちゃん

最初に「ちょっと電話してきてもいいかしら」と言い出したのは花さんだった。
例の彼氏さんにだとすぐわかったので、急いで部屋を出ようとすると止められる。

花「いいのよ、隣のリビングいるから」

私と花さんの部屋の向かい側には、２階のリビングがあった。

れ「…あの、Aちゃん」
『はいっ』

来た、と思った。事情聴取――お風呂に入る前の、あのときの。

れ「あたしもその、電話、してきていいかな」
『…電話、』
れ「そう、電話。」
『誰に?』

鍵盤に指を置く。ハノンの真ん中のページあたりに載っていた、黒鍵ばかりの指慣らしを弾く。
うまくいかないなぁ、と思ううちは延々これを弾く。

(なるせちゃんも教えてくれればよかったのに)

耳を赤くして口ごもる彼女に問い詰めると、小さい声で「かれし」って。
一瞬ぽかんとしてから、大いに納得がいった私は、大慌てで部屋を出た。

ケータイも本も持たず、それこそ着の身着のままで。


ようやく指が思うように動くようになり、いったん指先を離した。
グーとパーを交互に３回くらいやって、手首を軽く振って、きちんと座り直す。

『ふふ、』

(なんか楽しくなってきちゃった)

息を吸い、吐くのと同時に弾き始めた。
モーツァルトのきらきら星変奏曲。なんとなく秋ごろから練習していた。

454話→←452話

→ 目次へ｜作品を作る｜感想を書く
他の作品を探す