菩提樹下の逍遥《弐》【文/ス/ト】

時計仕掛けのオレンジ《弐》 ページ9

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「太宰君は幼い頃からやり口を変えながら、何度も私に反発した。それでもね、『森さん』が組織の長になった瞬間、『公』の私が下す命令に背く行為は一切しなかったのだよ。その太宰君が、はっきりと、私の意向を無視したのは……あれが最初で最後の一回だったんだ」

「……。」

「彼は。死地へ向かった友の下へ、命を落とすものだとわかっていても、向かうのをやめなかった。先の抗争で命を落とした織田作之助が、最下級構成員だとしても。友人だったという理由だけで、太宰君のあり方を大きく変えてしまう」


鴎外はそこで止める。永遠にも思える沈黙の後、


「ねぇ中也君。太宰君を変えたスイッチが織田君なら、一之君の怒りのスイッチは何だったのだろう。親交のあった君なら、何か一つぐらい知っていそうなものだけどね」


そう言い切ると、鴎外は緩やかに笑った。


「俺には、何もわかりません」


裏切りを働いた理由など理解ができない。ただそれでも。


「どのような理屈があろうと、貴方に刃を向けた罪の重さは変わりません。ましてや甘っちょろい人間関係に突き動かされてるなんざ、言語道断です」


『甘っちょろい人間関係』。具体性を含んだ言葉が中也の口からでたことに、鴎外は意外そうな顔をした。


「答えは返ってこないものだとばかり思っていたよ。何も知らないのではなかったのかね」

「知ろうとしなかった訳ではありません」


中也は懐からコピー用紙を取り出した。


アルファベットや数列が方眼用紙の上で、踊るように書き込まれている。


ラテン語で記入された、とある数学者が書いた論文の一文だ。


見慣れた筆跡に、鴎外は少し面食らった様子だ。


「これは一之君のノートかい？」

「はい。奴の教育係が持っていたものを 一部分印刷したものです。梶井基次郎とは個人的に交流があったので。手に入れるのは容易でした」


一見、何の変哲も無い数学のノートにしか見えない。


しかし医者である鴎外の目には―――つまりカルテなどに書き込むなどして、日常的にラテン語に親しみのあった彼には、所々の一文と数列が【数学とは全く関係ないもの】を意味しているのが読み取れた。

それだけでない。その文の内容と数字に深く関係していた彼には、すぐ理解できた。


「 ヨハネの福音書、それに、横浜市内の住所」


鴎外の言葉に、中也は深く頷いた。


「福音書の書き抜きはいずれも、ミミックが利用していた暗号に用いられていた一文です」

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