吾、忠誠故に國家逆襲致し候

第十二波 ページ13

「和平交渉を続けるとは、正気ですか」

すれ違いざまに掛けられた声に足を止める。
ちら、と横目で見て、前を見据えたまま浅野は、吉良の”参謀”殿か、と内心呟いた。

「正気です。先程の発言通り、欧州の荒れが治まるのを待つのが最善かと。」

更に後ろから此方に近付いてくる足音に振り返ると、片岡が睨むような目で山吉を見ているのであった。
片岡が何か言おうとするのを遮るように、「欧州の荒れが治まる、だと？」と震える声が廊下に響いた。

「何を仰る。欧州の荒れが治まるはずが無い。首相は世の中というものを見ておられないのか。」

その言葉が吐かれた途端、片岡の顔が真っ青になり、震えた手つきで左腰の軍刀に手を伸ばし始めたので慌てて「片岡！」とそれを制する。
それに構わず、山吉はつらつらと口に出す。

「満州を作った時点でまず英米ソとの敵対は確実です。和平交渉など無駄なのです。
それに最近締結された日独防共協定。国際連盟から離脱したドイツは再軍備に乗り出し、昨年ラインラントに進駐。ファシスト政権のイタリアはエチオピアに侵攻。ヴェルサイユ条約が無効化された今、英仏ソは、絶対にこれを無視できない。

となれば、ドイツの同盟国である日本も狙われる。
恐らくソ連辺りが牙を剥きましょう。
さらに今回の盧溝橋事件で中国内でも抗日運動が高揚している事は明白、また此方の軍部内でも、徳川長官の抑えきれない程の対中の声が上がっている！」

後半、やや声を荒げて山吉は言った。
片岡は冷静さを取り戻し始めてはいるが、未だ山吉の横顔を睨んでおり、いつ抜刀してもおかしくないような殺気の立ち方であった。

「…欧州の目はそのうち此方にも向けられるでしょう。”和平ごっこ”よりも、戦準備をした方が最善だと思いますが」

いつもの冷ややかな目で浅野、そして片岡を一瞥して身を翻し、先程片岡がやってきた方を歩いていく。

確かに連合国の目はいずれ此方に向けられる。
だが、戦準備をしたからと言って勝てる相手ではないのも確かだ。
背後にはソ連、一つ海を挟んだ向こうには英国の兄弟ともいえるアメリカが存在するのだ。挟み撃ちにされたら…それこそ多大な被害は免れない。
下手すれば、この日本自体が潰される可能性がある。

戦準備、か。
「彼奴…」と低い声で唸る片岡の視線の先にある背中を追いながら、浅野は考えていた。

第十三波→←第十一波

→ 目次へ｜作品を作る｜感想を書く
他の作品を探す