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駆け足でその場を離れ、人気のないところまで来た降谷は、携帯を耳に当てた。
あの日とは違う、無機質な機械音が鳴り続ける。先に拒絶したのは、自分だとわかっている。だけれども彼女はあんなにも、分かりやすいサインを出していたじゃないか、と降谷は自分を責めた。
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“ 今時、これも政略結婚って言うのかな ”
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寂しさを含み、娘を思う父の顔になっていた桃原が溢したその台詞は降谷の胸にズドンと響いた。
“ 半年と少し前くらいかな。娘が急に
“ 驚く僕を他所に、あの子新しくピアス開けたとか暢気に教えてくれてね。正直、そんな小さい頃にした話、忘れてたと思ったから。先方は、ずっと娘に思いを寄せてくれてたらしいけど、 ”
“ 協力者としての仕事は続けられないって告げたときだけ、泣きそうな顔をしてたかな ”
頼む。頼む。出てくれ。
『もしもし』
毅然とした声だった。
「‥っどうして言わなかった」
何も聞かず、一方的に怒鳴り散らした自分が悪いとわかっている。言わせなかったのは自分だとわかっている。なのにどうして今、自分はこんなにも泣きそうなのかわからなかった。
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『事後報告になってすみません。高校卒業して直ぐに、籍を入れたんです。お相手は秘密ですけど、国家権力にまつわる仕事に就く幼馴染みです』
何も気にしてないように笑うから、勘違いしそうになる。
ふたりの間に温度差がありすぎて、分からなくなる。
「‥‥君は幸せになれるんだよな‥‥?」
『‥彼が、ダイヤのピアスをくれたんです。降谷さんに、穴を開けてもらったときにはもう決めてました』
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爪が食い込むほど、拳を握りしめた。降谷は何も知らないうちに、恋人がプレゼントする指輪よりもずっとずっと残る印を彼女に刻み込んだ。
自らの手で簡単には消えない傷を。
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「あの日、僕に好きだと言っただろう」
電話の向こうの彼女は、ぎこちなく微笑んだ。きっと、ひきつった笑顔を浮かべているのだろう。
『嘘だよ。私、降谷さんのこと困らせるの、得意でしょう?‥‥ぜんぶ、全部嫌がらせだよ』
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それが最後だった。
深夜過ぎに降谷零のスマホが光ることは、それっきり無かった。
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作者名:ハル | 作成日時:2021年9月12日 0時