31ページ From:俺 ページ32
かさかさ、しゃくしゃく。
夜の静かな空気の中、葉の擦れる音と
俺の食べている林檎の咀嚼音だけが俺の周りだけに聞こえる。
先程までの様な賑やかな雰囲気も良いが、俺は静かな方が好きだ。
カレーの後のデザートとして、ぽずが余った林檎をくれた。
その時の奴の笑顔が、どうも無理をしている様に見えて痛々しい。
…俺だって、分かってるんだ。
でも、もうどうにも出来ないよ。
暗くなりかけた思考を途切れさせてくれたのは、
後ろから回された腕の温もり。
均等に切り分けられた林檎の欠片を
持っていた器に戻し、そっと手を重ねる。
や「…生徒は寝てる時間だよ、理華さん。」
『よく、分かりましたね。振り向いても無いのに。』
や「殆ど毎日繋いでる手を忘れる訳無いでしょ。」
流石に気持ちの悪い答えだったかと、内心後悔するが。
『……ふふ。』
腕に力が込められる。
どうやら満更でも無いらしい。
彼女に隣に来る様に言って、また林檎を味わう。
『またタバコでも吸ってるのかと思いました。』
や「テラスは禁煙なんだよね。理華さんも食べる?」
彼女は俺が差し出した器を一瞥し、
頂きますと言って中の一つを手に取った。
小さな口ではむっと齧って美味しいと洩らす彼女は、
さながら小動物の様で可愛らしい。
…そうだ。
や「林檎ってさ、神話上では禁断の果実って呼ばれてるんだって。」
『…あぁ、アダムとイヴのお話ですよね。』
や「知ってるんだ。
エデンの園で禁じられていた筈の果実を口にした二人は
神の怒りに触れて楽園から追放されてしまう。
そこから転じて、手にしたくても禁じられている為に手に入れられず、
かえって欲しくなってしまうものを禁断の果実と呼ばれる様になった。」
『改めて聴くと、人の持つ欲の恐ろしさが分かりますね。』
あくまで通説だけどねと返し、空いている手で彼女の肩に手を回す。
や「俺からすれば、もう手に入れちゃってるんだけどね。」
『もしかして、私が先生の禁断の果実ですか?』
返答代わりに肩に回した手を腰に移動させ、こちらに抱き寄せる。
やがて互いに向き合い見つめ合った。
『先生、アダムの林檎と呼ばれている体のパーツはどこか知ってますか?』
知ってはいたが、敢えて分からない振りをしておく。
すると彼女は俺の両肩に手を置き、背伸びをした。
すぐ後に、彼女の唇が俺の喉仏に触れる。
『…ここです。』
耳元に近い場所でそう囁く彼女が愛おしい。
俺はそっと互いの額を重ね合わせた。
彼女にお返しをする為だ。
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