Luv Bias 〈完結〉

・ ページ11

「お世辞じゃなくてほんとに。
私いろんなお店のミルフィーユ食べましたけど、ここのが1番好き」

そう言うと、カバンから名刺を取り出した。

「私雑誌の編集部で働いているんです。
まだなかなか自分のページはまかせてもらえないんですけど。
いつか企画が通ったら、ぜひこのお店紹介させてください」

そう言われて渡された名刺には俺でも知っている出版社の名前と、AA、と書かれていた。

「……はい、ありがとうございます。ぜひ」

俺も店のショップカードに自分の名前を書いて渡した。

「横尾渉さん？」

「はい」

「今日もミルフィーユ買って帰りますね」


それからAさんは、何度も来てくれた。

いつも会話は他愛ないものばかりで。

「今日はあったかいですね」とか。
「桜咲き始めましたね」とか。
「また企画ボツでした」とか。

そんな短い会話をひとことふたこと交わすだけだった。

だけど、俺はそれを楽しみにしていた。

いつも嬉しそうにショーケースの前に立つ彼女が来るのを、いつからかとても楽しみにしていた。


もう少しつっこんだ話をしてみたかったけど。

Aさんはいつもミルフィーユを2つ買って帰るから。

きっと誰か一緒に食べる人がいるんだろう。

家族か恋人かわからないけど。



春が過ぎて、梅雨が来るころ。

少なくても月に2、3回は来てくれていたAさんがぴたり、と店に来なくなった。

今日は来るかもしれない。

明日は来るかもしれない。

そう思いながら、俺は毎日降る雨とどんよりした空を眺めていた。

だけど、Aさんは来なかった。



テレビのニュースで梅雨が明けたことを知り、久しぶりの青空が広がった日の夜。

「横尾さん！」

久しぶりにAさんがやって来た。

「企画！通ったんです！
『誰にも教えたくない路地裏の名店』
ていうページで。
私ここのお店とミルフィーユ紹介したいんですけど、いいですか？」

「……はい、ぜひ」

雑誌で紹介してもらえることよりも、Aさんが来てくれたことの方が嬉しかったけど。

気の利いたことが言えるわけでもなく。

「お久しぶりですね、お元気でしたか？」

そう言うのが精一杯だった。


「実は……一緒に住んでた彼と別れちゃって。
ミルフィーユ食べると思い出すから足が遠のいてました」

そう言って少し笑う。

「なので、今日は一つだけ買って帰りますね」


俺はまた何も言えずに。

ミルフィーユを一つ、箱に入れた。

・→←青い空とミルフィーユ【Y】

→ 目次へ｜作品を作る｜感想を書く
他の作品を探す