第捌幕 腐れ縁 ページ3
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電車を乗り継ぎ、ジリジリと焼け付く陽の光を避けて木陰を歩く。
兄上への面会は午前中に済ませておいた。夜職で稼いだお金は、いくら違法だったとしても仕事の対価であるとして自由に使って良いとされている。全てを兄上への手土産にしたいところを泣く泣くその交通費に変え、遥々やってきた場所は、人気と陽射しの少ない裏通り。
薄暗く古びた民家に笑みを浮かべ、私はノックもチャイムも鳴らさぬまま鍵の開きっぱなしの扉を引き開けた。外界とは一線を引いたような、まるで別世界のような空気感。冷房もかかっていないのにひやりとしている。
扉を閉め、玄関で靴を脱ぎ、奥の部屋へ進んだ。一番奥の部屋から立ち込める、水彩絵の具と鉛筆の削り香。誘われるように足を踏み入れ、カンバスに一心に向かう背中を瞳に入れた。
「出ていけ」
背中はこちらを振り向きもしないままその一言だけ発してしまう。
「つれないなぁ、お茶くらい出すとか、そういう気概はないのかい?」
「茶葉が勿体ない。今は見ての通り作品を仕上げているところだ。貴様の相手をしている暇はない」
「邪魔したりしないさ。ここで見ているだけ」
鉛筆を動かしていた彼は、しばらくすると深く深く、それはもう海より深いため息をついて、眉間に皺を寄せた顔をこちらに向けた。
「で、見つかったのか? 今世で珠世様は」
「まだ。今どの年齢かも分からぬから骨が折れるね」
「じゃあ何の用でここに来た」
「茶飲み友達だろう? 近況報告とか。珠世に関連するかも知れぬ話もあるんだよ」
男──愈史郎は、再びため息をついて立ち上がった。
「……茶を淹れるから、居間で待ってろ」
「ありがとう。じゃあお言葉に甘えて」
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