検索窓
今日:10 hit、昨日:3 hit、合計:3,312 hit

ページ13

.



「無惨様。苦しくはありませんか」


 暗い病室。明け方、まだ陽の光が差し込まぬ時間だが、Aは兄のやせ細った手を両手で包んで穏やかな声色で尋ねた。
 兄からの反応はない。それでもAは聖母のような笑みを絶やさない。

 兄上が目を開いている時、死を悟らせるわけにはいかない。

 Aはもう一週間ほど眠っていなかった。しかし、眠気が襲ってきたかと思えば、眠っている間に兄が死ぬ恐怖がすぐに体を支配し、とても眠れなかった。
 Aの脳内にはしのぶや産屋敷、毎日容態を見てくれる看護師や医師すらも入る余地がなく、ただ兄のことばかりがあった。

 無惨がそっと目を開ける。


「……あな……たは……」

「初めまして、無惨様。私はA。苦しみを乗り越え生きられるあなた様のために参った道化師です」

「……病は……治る……でしょうか……」

「はい、すぐにでも。その証拠に、苦しみから解放されていらっしゃるでしょう」

「……そうですね……」


 Aの心の臓が逸った。

 この時期になると、薬を飲んでいても息苦しさを止めることは不可能だ。
 その感覚すら失われたということは。

 今自分が握っているまだ温かい手の主はもう永くない。


「……今は……何月……」

「十一月です。外ではまだ、紅葉が美しいですよ。歩けるようになったら旅行にでも参りましょう。Aがお連れいたします」


 嘘だ。もうとっくに時期は終わり、枯れた枝ばかりが残っている。季節は既に冬支度をすませ、息を潜めて沈黙している。


「冬になったら雪原を。温泉に行くのもよろしいですね。それが過ぎたら桜の季節ですよ。無惨様の思うままに、自由に陽の下を歩きましょう」

「……」


 無惨の呼吸が浅く、間隔が離れ始める。
 Aは力の入っていない兄の手を固く握った。兄の視線が妹に向く。


「……おま……えは……」

「え?」


 聞き間違いかと思った。しかしAが兄の言葉を聞き間違えることなど万に一つもありえない。


「……そうだ……お前は……」

「無惨様?」


 彼の瞳が光って見えた。


「思い……出した……お前は……私の……」

「……兄上?」


 四百年、一度も彼に面と向かって言ったことがなかった言葉を紡ぐ。

 無惨の瞼が静かに閉じた。


「あに……うえ、兄上。兄上!!」


 呼びかけに返事はない。


「……兄上……」



.

*→←第玖幕 訃報



目次へ作品を作る感想を書く
他の作品を探す

おもしろ度を投票
( ← 頑張って!面白い!→ )

点数: 10.0/10 (15 票)

この小説をお気に入り追加 (しおり) 登録すれば後で更新された順に見れます
39人がお気に入り
違反報告 - ルール違反の作品はココから報告

感想を書こう!(携帯番号など、個人情報等の書き込みを行った場合は法律により処罰の対象になります)

ニックネーム: 感想:  ログイン

作品は全て携帯でも見れます
同じような小説を簡単に作れます → 作成
この小説のブログパーツ

作者名:クラウン | 作者ホームページ:×  
作成日時:2023年8月13日 17時

パスワード: (注) 他の人が作った物への荒らし行為は犯罪です。
発覚した場合、即刻通報します。