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「無惨様。苦しくはありませんか」
暗い病室。明け方、まだ陽の光が差し込まぬ時間だが、Aは兄のやせ細った手を両手で包んで穏やかな声色で尋ねた。
兄からの反応はない。それでもAは聖母のような笑みを絶やさない。
兄上が目を開いている時、死を悟らせるわけにはいかない。
Aはもう一週間ほど眠っていなかった。しかし、眠気が襲ってきたかと思えば、眠っている間に兄が死ぬ恐怖がすぐに体を支配し、とても眠れなかった。
Aの脳内にはしのぶや産屋敷、毎日容態を見てくれる看護師や医師すらも入る余地がなく、ただ兄のことばかりがあった。
無惨がそっと目を開ける。
「……あな……たは……」
「初めまして、無惨様。私はA。苦しみを乗り越え生きられるあなた様のために参った道化師です」
「……病は……治る……でしょうか……」
「はい、すぐにでも。その証拠に、苦しみから解放されていらっしゃるでしょう」
「……そうですね……」
Aの心の臓が逸った。
この時期になると、薬を飲んでいても息苦しさを止めることは不可能だ。
その感覚すら失われたということは。
今自分が握っているまだ温かい手の主はもう永くない。
「……今は……何月……」
「十一月です。外ではまだ、紅葉が美しいですよ。歩けるようになったら旅行にでも参りましょう。Aがお連れいたします」
嘘だ。もうとっくに時期は終わり、枯れた枝ばかりが残っている。季節は既に冬支度をすませ、息を潜めて沈黙している。
「冬になったら雪原を。温泉に行くのもよろしいですね。それが過ぎたら桜の季節ですよ。無惨様の思うままに、自由に陽の下を歩きましょう」
「……」
無惨の呼吸が浅く、間隔が離れ始める。
Aは力の入っていない兄の手を固く握った。兄の視線が妹に向く。
「……おま……えは……」
「え?」
聞き間違いかと思った。しかしAが兄の言葉を聞き間違えることなど万に一つもありえない。
「……そうだ……お前は……」
「無惨様?」
彼の瞳が光って見えた。
「思い……出した……お前は……私の……」
「……兄上?」
四百年、一度も彼に面と向かって言ったことがなかった言葉を紡ぐ。
無惨の瞼が静かに閉じた。
「あに……うえ、兄上。兄上!!」
呼びかけに返事はない。
「……兄上……」
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