ごめん ページ44
「え,ぐちさ……?」
いつだったか,Trignalのラジオ収録の帰り道に同じような状況になったことがあった。
あの時は,江口さんがトラックの水飛沫から私を咄嗟に庇ってくれたっけ。
――じゃあ,今抱きしめられているこの状況は?
「――っ」
ぎゅうと痛いくらいの力で抱きしめられる。
私の肩に顔を埋める江口さんの表情を窺い知ることはできなくて,ただただ困惑する。
「……A」
普段より少し低めの声でそう呟かれ,思わずぞくりとした。
ただでさえ声をウリにしている職業で,好きな人で,しかも普段よりうんと近い距離で。
名前を囁かれれば,誰だって心音は早くなるだろう。
だって,単純に嬉しいのだ。
好きな人がいるという彼が何を思っているのかはわからないけれど,もしかして,もしかして少しはまだ可能性があるんじゃないかって。
「……江口さん」
――恐る恐る,江口さんの背中に手を回そうとしたときだった。
「――っ,ごめん」
ハッと息を飲む音が聞こえたかと思えば,包まれていた温もりが一瞬で消える。
江口さんは眉尻を下げて,困ったような顔をしていた。
「ごめん,急に」
「――っ,そんな,気にしないでください」
……危ない。
また勘違いするところだった。
「ほんと……ごめん。悪酔いしたのかな,俺」
「そんな。全然気にしてませんよ,むしろ酔ってたのに送らせてすみません」
「いや。……こんなのセクハラだよな,ごめんな」
「何言ってるんですか,私とパイセンの仲でしょ」
額を抑えて項垂れる江口さんに,気にするなと言わんばかりに背中をべしべし叩く。
……分かってる。
私はもう何も知らない子供じゃない。
雰囲気に,お酒に,その場の流れに身を任せてしまえば,ハグひとつ,大人の世界では別段珍しいことではないのだろう。
それがどんなに好きな相手で,優しいハグだったとしても,あくまで特別な好意は一方通行で,何かその後の関係性が発展するわけではない。
私達の間には,事務所の先輩後輩という名前以外,何もないのだ。
たかが,ハグひとつ。
「ごめん。……ごめん,ほんとに」
茶化してもなお真剣な表情で謝り続ける江口さんに,思わず鼻の奥がツンとする。
冗談にしたかったのに,そうすることを許してはくれないらしい。
本当に悪酔いしただけ?
それとも,私の気持ちを察した上で――思わず抱きしめてしまったけれど,答えられないことに対しての「ごめん」?
ねえ,江口さん。
そのごめんは,なんのごめんですか?
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皐月(プロフ) - Aさん» ありがとうございます^^元々,恋人関係のあまあま江口さんのお話を書きたくて執筆を始めた作品なので,更にのんびりペースですがお付き合い編も少しずつ書き進めていきますので,よろしければご覧ください(^^)/ (2020年11月15日 18時) (レス) id: d2e19bebfe (このIDを非表示/違反報告)
サチ - 更新お疲れ様です!気になる展開です。続き楽しみにしています!頑張って下さいね。 (2020年10月25日 22時) (レス) id: 379e7fdd5e (このIDを非表示/違反報告)
皐月(プロフ) - Aさん» お返事遅くなりました。ありがとうございます^^のんびり更新となりますがお楽しみいただけたら幸いです! (2020年10月22日 19時) (レス) id: d2e19bebfe (このIDを非表示/違反報告)
A(プロフ) - 最近読み始めたんですが素敵すぎて一気に読んじゃいました!これからも更新楽しみにしてます!! (2020年10月16日 1時) (レス) id: a957c976a9 (このIDを非表示/違反報告)
皐月(プロフ) - お久しぶりの投稿となってしまいました。2週間ほど私生活がばたついておりましたが少し落ち着きましたので,また少しずつですが更新していきたいと思います。のんびりとお楽しみいただけたら幸いです(^^) (2020年10月16日 0時) (レス) id: d2e19bebfe (このIDを非表示/違反報告)
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作者名:皐月 | 作成日時:2020年9月8日 21時