▼噛み傷の肥大化 ページ20
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ㅤ「ッ」
は、と憎悪の浮上。はるか昔にさえ閉じ込めてしまいたくなるような、鬱サンのおどろおどろしい笑みが脳裏にこびりついて離れない。
いつの間にかわたしは薄汚れたベッドに寝かせられていた。緩く握るような形にされた手の内には金きらに光るベル。その光沢に反射したわたしの顔が酷く、忌々しげに口元を歪めるものだから、声など聞こえる前にベルをベッドに放り投げた。
さて、すべての信頼どころか、わたしの頼る先が居なくなってしまったわけだけれど。
今まで散々宝物のように大切にしてきたこのベルも、今となってはただと金属に過ぎない。そのことが何を意味するのか、わたしには分かりたくもなかった。
「────Aさーん、いますかあ」
ゴン。ノックと言うにはいささか妬みつらみを打ち付けたような、力強い拳が部屋の扉を叩く。あまりに自分勝手なその音と、“しかばねちゃん“以外のわたしを形容する不確かなその言葉に、思わず「え」と空気をふるわせてしまった。
「あ、声きこえたなア。はよ開けてえや」
「···あの、どちら様ですか」
「ンなこたええねんㅤ開けたってや、ナ?」
ゴン、ゴン。記憶からはみ出た古臭いドラマの一瞬が、フラッシュライトの如くこの状況と並走する。誰かに似ている。わたしが知りうる、現実の誰かに。
「オーイ、聞こえてる?」
ゴン、ゴン、ゴン。ボロい扉がミシミシと悲鳴をあげた。軽やかで問いかけるような声色とは似合わぬ、扉を開けろと直接海馬に語りかけてくる悪魔みたいな強打。
悪夢を見ているような、今まで出会った三人の狂人どもの誰よりも人間的な恐怖を覗いているような気がしてならない。
十回目のノックで、耐えきれず扉を開けた。
「開けるの遅いわ、もう。次オレが呼んだらスグ出てきてな」
浅瀬より砂浜に近い、夕日を見た。磨りガラスに似た不透明なメガネが目線を遮り、何ひとつ変わっていないはずのその白霧の先が、穏やかに弦を弛めた気がした。
シャオロンサンとも、鬱サンとも、首なしの人ともどこか違う。あまりに生きているように見える。生と死という概念に、近づける場所まで近づきすぎた感覚がする。
自己中心に極まった言動でさえ、あの夕日がわたしを見つめればさんにいいちでパッと消え去ってしまう。現に、あれほど憎らしかった鬱サンからの不純でさえ、どうでもいいと思えてしまった。
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作者名:眼窩 | 作成日時:2022年9月4日 5時