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箱の中からお菓子を適当に摘み出し、机の前に座ってマヨイさんにもそれを勧めた。遠慮がちに謝礼を述べる彼の隣で、俺は目線を上げる。
「一彩さんも、お菓子などはいかがでしょう」
そう声を掛けた先には、自身のベッドの上で壁にもたれながらぐったりと座る一彩さん。ただいつもの元気さは今は皆無と言ってもいい程で、先刻から無言でぼうっと下を見つめていた。しかしやっと俺の誘いに口を徐に開く。
「…いや、僕は…遠慮しておくよ」
「そうですか。…慣れない一人仕事でしたからな、お疲れ様です」
こくんと頷くが、それは項垂れるようにも見えて。思えば朝から少し元気が無いような気はしましたが、何か悩みでもあるのでしょうか。収録は問題無かったと聞きましたが…
「……余程お疲れなんでしょう。今日はもうゆっくりさせてあげましょうか」
「えぇ、はい。…しかし、藍良さんは遅いですな」
時刻はもう夕餉時。この時期だ、空はもうだいぶ鈍色に満ちている。ここを出る時には昼過ぎに帰る、などと聞いたはずですが…
俺が何気なしに話題にすると反応したのは一彩さん。閉じていた目を開き、むくりと上半身を起こした。
「…藍良…まだ、帰っていないんだよね……」
「はい……それに、連絡も入っていないようです」
「…私が言えた事ではないですが、暗がりには何物も身を隠す事が出来ます…故に一層気を付けなければなりません。少し、心配ですね…?」
マヨイさんが菓子へと伸ばす手を止め窓の外を見遣ると、同時に一彩さんは上の空から一変してはっとしたように目の色を変えた。
「…僕が下まで藍良を迎えに行くよ」
そして半ば無理やりにも感じられる動作で二段ベッドから降り、部屋のドアへと近付く。その足取りは少しよろついているようにも見えた。
「…一彩さん?お疲れでしょう、それなら俺が行きます。あなたは休んでいて下さい」
「……離してくれ、巽先輩」
腕を掴むと、振り払われはしなかったものの怪訝そうな顔を向けられてしまった。凡そ藍良さんを心配しているのだろうと見当はついたが、それにしても目が開ききっていない。
「あのう…一彩さん、もしかして体調とか、悪かったりします…?」
そう俺も邪推していたところだった。しかしその人はころりと表情を変えて、いつもの笑みで返す。
「そんな事は無いよ。…この通り、至って快活だ。だから僕が行く、二人には待っていてほしい」
それだけ言い残して、一彩さんはこの部屋を後にした。
「………」
ドアの閉まる寸前――少しだけ苦しそうに顔を歪めたように見えたのは、俺の勘違いだと思いたい。
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作者名:冴波せつ | 作成日時:2020年5月4日 12時