ふたりで、ひとつ-共犯者篇-幼少期〜日露戦争前 (ページ12)

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ぼそぼそと空想の父に話しかけている母に祖父が怒鳴った。
そこからは阿鼻叫喚である。己の髪の毛をぶちぶちと引き抜く母とそれを止める祖母。いい加減にしろと怒る祖父。百之助はその光景を見ても心一つ動かなかった。ただ、この母の声を聞いていたくないと思った。
金切り声に耐え忍ぶAを思い出す。あの少女もこんな気持ちであったのだろうか。

いつもより早い時刻に外に出て、鴨を撃った。
Aはついてこなかった。おそらくこの時間は部屋に引っ込んでいる。
帰り道、また柵の前を通った。
このまま帰ればあの光景が続いているのだろうか。髪をぶちぶちと抜く母を思い出す。居心地が悪いことはわかりきっていた。
祖父も我慢の限界であったのだろう。全ては連鎖している。祖父は多くは語らなかったが、母が芸者となったことも、芸者の身でありながら父と子をなすことも、父が本妻と子をなし芸者の母を捨てることも全ては必然である。それならば。

ガサゴソと聞きなれた音がした。

「終わり？」

Aの声は、まるで日が落ちる前の橙から紫に変わる空のような音色であった。
いつもとは逆方向に歩みを進める。Aはいつも通り何も言わず三歩後ろをついてきた。

家屋の前で歩みを止める。
声は聞こえない。あの騒動もひと段落ついたということであろうか。

ザッと音がした方を見るとAが珍しく困った表情で後ろに下がっていた。
この家に一人で入りたくない。百之助はAの手首を掴み引っ張る。勢いに任せて玄関の引き戸を開けた。

「おっかあ」

台所に立つ母の髪は整えられていた。祖母が整えたのであろう。
ふっと息を吐くとAを玄関たたきに引き入れる。

「どなた？」

百之助はそれもそうかと目をぱちくりさせる。至極真っ当な問いであった。

「A、親が今日はいない」

嘘っぱちである。隣のAが戸惑っているのがわかったが手を離す気にはなれなかった。

「あら、でも今日はお父っつぁまがいらっしゃるから駄目よ」

父などこの家にはこない。それこそ葬儀でもない限り。
ふと、母は己の葬儀には父は来るのかと考える。そうすれば母は父に会うことができるのに。

「...お父っつぁまなら前に友達を連れてきなさいと」

口から出まかせを吐いた。母の妄言に付き合ってきたのだからこれくらいは良いだろう。

「そう...」

母は再びあんこうに目を落とす。
百之助はそっと玄関たたきの隅の物置の殺鼠剤を懐に入れた。