ある書道家と私 -ki-

48.苦悩 ページ48

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「徐々に古典の臨書も始めて、少しづつだけど書けるようになってきたんだ」



北山さんは、ゆっくりとした動作で私の手を取るとそっと自分の手から離した。

拒絶された……

やっぱり触れることさえできないんだね。
切なくて、締め付けられるように胸が苦しい。




「書けるようになってくると、やっぱり俺は書が好きだってすげえ感じて。毎日毎日書きまくって、一歩も外に出ない日もあったよ。それからネットで仕事も少しづつ始めて、お客さんから喜んでもらえるようになってきたんだ」


「そんな時に、私と出会ったんですね？」

「そう。俺さ、まだ親父の事を引きずってるんだよ。また書けなくなると思うと怖いんだ。
こんな生活をしてたら、もうどうしようもないってのも分かってる。この前桐谷さんと外食した時、抜け出せそうって思ったんだけど……一人になると漠然とした不安に襲われてさ、気持ちの浮き沈みが激しいんだ」




北山さんの心は、お父さんにまだ縛られているんだ。私にはどうしてあげることもできないの？
北山さんの苦悩がひしひしと伝わってきて、私の心も押し潰されそうだった。




「ごめん、今日は桐谷さんのやけ酒につきあうはずが俺の話聞かせちゃったね。まあ、つまんねえ話だから忘れて……桐谷さんの話につきあうよ」



北山さんは立ち上がると、冷蔵庫からビールを持ってきた。



「いいんです。それじゃ、今度はやけ食いにつきあってくださいっ！またあの焼肉屋さん行って、もう食べられないってギブアップするまでつきあってくださいね」

「いいよ」



やっと北山さんは笑ってくれた。







北山さんを救いたい。
ダメかもしれないけれど、手がかりなんてないかもしれないけれど……
どんな事でもいいから、どんな小さな事でも。


早く五本木宗一郎に会いに行こう。
私は動かずにはいられなかった。






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