大野クリニックで祝杯を－淡雪の記憶－ (ページ29)

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「それってたぶんアレでしょ。不倫がバレないように、口止めしておきたいってことでしょ。治療費が口止め料ってわけだ」

二宮は皮肉っぽく唇を歪めた。

「……昨日の爆発はテロの疑いもあるとされている。もし、本当に彼女が関わっているなら、放っておくわけにはいかない……早く何とかしないと、また似たような事件が起こらないとも限らない」

松本が誰にともなく呟いて、話題を戻した。

「にのちゃん、いつもみたいに頭の中を読めないの？」

雅紀が二宮に水を向ける。

二宮は大野の隣のカウンター席に小さくジャンプして座ると、両手を広げた。

「あの、何度も言ってますけど、俺は別に思考を完全に読み取れるわけじゃないんです。表情筋の変化、瞳孔の大きさ、呼吸の乱れ、そういう無意識の反応を総合して、相手が考えていることが分かるっていうだけ。何かを隠そうとしている人から情報を引き出すことは出来ても赤羽さんみたいに、本当に記憶を失っている場合は無理ですよ」

「それじゃあ、やっぱり催眠療法で記憶を呼び覚ますしかないんじゃない？ちょっと苦しいみたいだけど、そこは我慢してもらってさ」

雅紀が言うと、二宮は「危険すぎます」と首を左右に振った。

「危険？にのちゃんの催眠療法って、そんな危険なものなの？昨日はかなり苦しいけど、出来ないことはないって言ってたじゃん」

「昨日は赤羽さんの記憶喪失が、たんに頭部外傷からくるものだと思ってましたからね」

「え？違うの？」

「全生活史健忘の原因は頭部外傷より、心因性のことの方がはるかに多いんです。昨日、爆弾のことについて口にした後、赤羽さんが気絶したの見たでしょ。あれを見ると、ここ最近、強い精神的なショックを受けた可能性が高い。つまり、たしかに頭部外傷が記憶喪失のきっかけだったんだろうけど、あそこまで完璧な全生活史健忘になったのには、その精神的ショックが関わっていると思うんだ。だから、催眠療法でその記憶を無理やり呼び覚ますのは危険すぎます」

「記憶を回復できないっていうことですか？」

おずおずと奈美が訊ねると、二宮は首を左右に振った。

「いや、記憶は戻ると思います。けれど、トラウマになっている記憶を一気に取り戻したら、精神が耐えられない。よくてPTSD、最悪廃人になっても不思議じゃないですよ」

二宮は珍しく、低く押し殺した声でつぶやいた。

店内に重い沈黙が下りる。

「……一気にじゃなければ？」

大野が小声でつぶやいた。