俺の信じた貴方なら ページ44
「A」
『?、どうしたんですか』
いつも真面目な顔をしているのが、今日はやけに神妙な面持ちをしていた。
「話があるんだ」
そう切り出された話が、まるで面白くなかったのはなんとなく覚えている。
♯
少し前に聞いたことがあった。松陽さんに何をしているの?って。その時は教えてくれなかったけど、なんでかわかったよ。
『奈落...』
その名を初めて知ったとき、既に兄さんはいなかった。本当に辛いことがあると、人は自己防衛として嫌な記憶を捨てたり、思考することを放棄するんだそうだ。正直そんなに大変なことがあったら頭の回転ぐるぐるだろって思ってたが、迷信じゃないんだな。昼の話がまるで記憶のどこにも見当たらない。
ただ、二人で兄さんが潰されたのを目の当たりにした。それだけ、その事実しか今は頭に刻みつけなかった。
呆然としていた気がする。今となってはあまり覚えていないが。
しかし。突如として、思考を拒絶していた脳みそは何度も同じ言葉を呼び起こしたた。
_"俺たちの松下村塾を頼む。"
『っ...行きましょう』
松陽さんの顔を見て話す勇気なんて無かった。その時、この人がどんな顔をしていたかなんて見当もつかない。だが、俺の...いや、俺たちの意思は固かった。
『兄さんとはすこしはぐれてしまっただけです。きっとまた会える、それを信じて俺たちは松下村塾を続けましょう』
「...強いですね。貴方は」
『強いのは、っ...兄さんです』
そうして二人歩き出した。本当は三人で並んで歩きたかったと想いが過る。
いや、きっと...見えないだけなんだ。水面下ではきっと皆同じ思いの筈だから...信じるんだ。
簡単には死なないって言った。あの人はいつも身を呈して俺たちを助けてくれる。でもそれで命を落としたことなんて無かった。今回だってそのはずだ。そのはずだから...っ
そう言い聞かせながら...あれだけ気取ったことを言って置きながら、今は涙が頬を伝うのを止めることが出来なかった。
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作者名:男主愛好家 x他1人 | 作成日時:2020年11月1日 13時