藤の花を添えて (ページ9)

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踏み入れる、そこは"日常" ページ9

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『こっち。あ、そこ段差あるから気をつけてね』

忍び足でAは辺りをキョロキョロと警戒しながら御屋敷の中を歩く。その後ろを、汐恩と翔也は招かれるままに着いて行く。

今の時間は、夕飯の支度やら何やらで使用人のほとんどは台所や大広間にいる。それを知っているAは、裏口からそっと御屋敷の中に入った。

｢何でこんな泥棒みたいな真似せなあかんの｣
『突然知らない子連れてきたらみんなびっくりしちゃうもん』
｢ … 俺ら来ない方よかったんちゃうん｣
『しっ！いいから黙って着いてきて』

汐恩はため息をついた。着いてこいと言われるがままに来てみたものの、やはりどこか躊躇ってしまう。

一方翔也は、ここ最近の疲れからかもうAに抵抗するのをやめたらしい。

汐恩は、Aの後ろを着いて行きながらふと考えた。

自分の正体を知った時、果たしてコイツは自分達を否定するのだろうか。

今まで出会ってきた人間は、皆そうだった。

軽蔑の目、卑しい目、見下す目。全て、汐恩を縛り、地面に身体を踏みつけられるような重圧のある視線ばかりだった。

苦しかった。けれどそれ以外に生きていく術を知らなかった。翔也もそうだ。むしろ、翔也のほうがきっといろんな大人を見てきている。世の中の汚れに、どこか抗うことを諦めていなかった汐恩に対して翔也はいつからかそれを受け入れていた。

知らない大人に触れられる身体も、解かれる衣も、浴びせられる言葉もいつの間にか二人にとっては日常になっていた。

そんな自分に、自分達に、どんな理由であれ手を差し伸べてくれたA。初めて人に、"人として"触れられた瞬間だった。

神社でAに握られた手のぬくもりが、明らかに今まで感じた人の感触とは違うと思った。

｢ほんま、何やってるんやろ｣

もう幾度目かのため息がこぼれる。

今の自分の状況を、数日前の＿＿陰間屋にいた自分は想像がつくはずもないだろう。

『ここ、私の部屋！入って入って！』

無理やり中に押し込まれる。

ぴしゃりと閉められたその部屋は、片付けられているものの生活感がちゃんとあった。

彼女から香る花のような匂いが、その部屋の中を埋めていた。

初めて来たはずのAの部屋で、なぜか汐恩の気持ちは穏やかに落ち着いていた。