【小説企画】ヒストリーマンション (ページ35)

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35話【織田信長】ページ35

響きよく言えば孤高の狼かもしれないが、畏れはばかられすぎてもはやぼっちだ。実は割と寂しがり屋である信長としては残念美人の妹お市と鬼姑のような蘭丸の２人だけがかろうじて口を聞ける人間というのは深刻な問題であった。

「信長様は黙っていれば様になりますので…」

「だろう俺はなかなかに美少年だと思うのだ」

「…喋ると霞みます」

色素のやや薄い、灰色がかった髪の艶。華奢な輪郭は割と人受けがよかった。と信長はぼんやりと考える。どちらかというと信長にすがるのは権力に目がくらむばかりで、正直のところ容姿が優れていようが劣っていようが、自分の中身を‘見て’くれる人はこれっぽっちもいなかった気がする。信長は頬に睫毛の影を落とすと、静かに笑った。花形に抜き取られた人参を刺す。人参はぱっくりと真ん中で繊維にそって裂けた。

「お友達を作りましょう」

不意に蘭丸が切り出した言葉に、信長は訝しげに振り向いた。

「此処は名声も地位も貴方の命を狙うものもいない。貴方の駆け抜けた生前はあまりにも目まぐるしかった。あの時得られなかった何もかもが、今度は手にすることが出来るのですよ」

「…俺は幸せだった」

盲信した人々と、媚びる人々。それが例え自分以外のものが目当てだったとしても、常に人に囲まれて幸せだと思い込んできた。長い間蓋をしてきたその事実に触れてしまうような蘭丸の言葉。その眩しく目を惹く瞳から目を逸らすと、信長は首を振った。

「嘘を仰い。アンタ最後までまともに人と本心を打ち明けたことありましたか」

「それは」

「偶然にも住民は貴方のように時代を飛躍した人ばかり。こんな好転機、誰が見過ごすといえましょう」

信長の瞳が蘭丸を写しては揺れる。血のように無機質だった瞳は、今ではこんなに鮮やかに光を灯している。

「……鬼の子が、友達を作っても許されるだろうか」

「曲がりなりにも守るべきものを守った、あなたは優しい人の子です」

「買い被りすぎだ」

二人の小さな笑い話は205号室に吸い込まれる。信長によって箸でつつきまわされた筑前煮は、もう食感もクソもなくグチャグチャになってしまった。しいたけは汁を含んで端っこで伸びていた。
平穏な風に乗せて、浮雲はゆっくりと流れていく。
織田信長。駆け抜けたあの日、取りこぼした幸せをとりもどす人生。思ったよりもちっぽけで普通の、二回目の人生が歩もうとしている。