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 ポケットティッシュを入れたカゴを腕に下げた、化粧の濃い女に目をやる。わざと近くを通りかかると、女は高い声でよろしくお願いしますぅと語尾を伸ばしながら、広告の挟まったポケットティッシュを手渡してきた。広告は、とりとめのない内容だった。ため息をつきつつ、ポケットに手を突っ込むと、くしゃりと音がする。取り出してみると、飴の包みが出てきた。
「ひでなりー」
 呼ばれて振り向く。ワンレングス風の髪型の少女が、安っぽい笑みを目元に浮かべてひらひらと手を振っている。知り合いだった。
「なんだよ、アカリ」
「見かけたから声かけた。用は……ないかな」
「………………」
 少女の切れ長の猫目が、じっと英也を見つめた。静かに息をする。英也の前まで歩み寄ってきたところで、深い赤ののった艶やかな唇がぱかりと開く。
「アカリはあっち見てくるから」
「おう」
「アカリがいない間に死なないでよね」
 英也が目を丸くする。
「知ってたのか。俺がゲロったこと」
「直美が言ってた。頭痛そうだったら帰らせてってさ。母親みたいだよね」
 直美は過保護だ。英也の口元が少しだけ綻び、肩の力が抜ける。
「直美のこと好き?」
「恋愛でか?」
「あったりまえじゃん。友達として好きかどうかなんて聞いてどうすんの?」
「知らねーよ。好きなわけあるか」
 頰に冷たい指が触れ、アカリが艶やかに微笑む。英也は肩の力を抜いた。
「じゃあ、キスしてよ」
「なんでそうなる」
「あんたが直美のこと好きじゃないんなら、あんたにはそれ以上に好きな人なんていない。でも欲はたまるでしょ? それなら、アカリが暇潰ししてあげる」
 色を含んだアカリの笑みにまばたきをして、手を取り、屈み込む。距離が近すぎて焦点が合わない。この視界がぼんやりする感じに、いつも感情が抑制される。アカリが目を閉じたのがわかった。
 前髪をかきあげ、唇を押し付けてやって手を離す。
「んっ」
 滑らかな額に少し触れ続けてから、離れて顎を引いて笑う。アカリは一瞬唖然としてから、目を釣り上げて頬を真っ赤に染めた。
「なっなにっ」
「オコサマにはまだ早いしー」
「……っ、マジありえない! てゆーか歳おんなしじゃん」
「精神年齢が」
「うっさい、アカリよりチビのくせに! もう知らない、勝手に死ねばっ」
 肩を揺らしながらアカリは、元来た道を戻っていった。もっとマシな誘い方はないものかと肩をすくめる。どうやら遊び人だと思われているらしい。
 視線を周囲に巡らし、子供がいないか確認する。この時間にこんな場所を徘徊している子供は、不良に片足を突っ込んだ奴か、見栄を張りたい奴か、ちょっと冒険してみよう、なんて無駄な好奇心が旺盛な奴だけだ。塾帰りの健全な少年少女は両親からここへは立ち寄らないように言われているはずで、放任されている奴らもそこまで長居はしない。せいぜい夜食を買う程度だ。用も目的もないのに夜の街を訪れる好奇心旺盛なガキ。それが一番、たちの悪い奴に引っかかりやすい。
 ネオンサインにはもう、それほどの幻想を抱けない。この街の本性は見えてしまった。見せかけの愛情、徒花の快楽──しかし、それに呑まれる子供は、いつも少なからず存在する。
 結局、大人ぶりたいならさっさと大人になってしまったほうが早い。狡猾に振る舞うのは遠回りだ。感情のまま惰性で生きるその姿は、自分が当初思い描いていたような、きらびやかな姿ではなかった。
「ヒデー」
 人混みの向こう側で、直美が手を振っている。ふらっと手を挙げると、直美は嬉しそうに微笑んで英也のそばに駆け寄った。
「ねぇ、悪いことしちゃだめだよ」
 噴水の前に座った直後に、直美がそう切り出した。英也は眉を顰めて口を尖らせた。
「なんのことかな、お姉さん」
「………………」
「……なんで知ってんの」
「見てた奴がいたの。誰とは言わないけど」
「ふーん」
 どうせ、亜蓮あたりだろう。自分の発見者も亜蓮だというし。ゲロまみれの人間一人を抱えて家まで連れ帰る甲斐性は、隼人にはない。
「だめだよ?」
 直美があまやかに言い、含んだ風に目を伏せる。
「だめだよ。人怖がらせちゃ」
 英也は唇を結び、怒った風に大仰にため息をついた。
「わかってるよ。むしゃくしゃしただけ」
「それ前も言ってたしー」
「何かに当たってないとお前らに当たりそうになる」
「私たちに当たればいいんだよ。ヒデは優しいのに、なんで優しくはできないんだろね」
 すん、と空気を嗅ぐ。雨で湿ったコンクリートから、懐かしいような匂いが立ち上っていた。
「さぁ。ほんとは、直美が思うほど優しくないのかもしれないぜ?」
「そうかもねー」
「ああ」
 そうさ、優しくなんかないのだろう。
 自分の内で、もう一人の自分が囁く。幾度となく、ささやかれてきた。
 俺は優しくなんかない。ただ、まっとうな人間と正面から向き合うことを拒否して、慰め、同調してくれるこいつらに逃げているだけだ。
「──ヒデ?」
「ん?」
「どうかした?」
「どう……って?」
「いや、なんか……」
 眉尻を下げる直美に顔を覗き込まれて、英也は体をのけぞらせた。直美は首をかしげ、英也の頭をぽんぽんと撫でた。
「大丈夫、大丈夫」
「うわっ、子供扱いすんなよっ」
「こう見えて保育士志望」
「無理だろ」
 手をはたき身をかがめる。歯ぎしりをして、英也はばっと立ち上がった。
「俺っ、あっちのほう見てくるから。お前は隼人か亜蓮のとこに戻っとけ。一人でうろつくなよ」
「おー。がんばってー」
 ばたばたと走り去る背中を、何か言いたげに直美が見つめていることに、英也は気がつかなかった。

 頰が熱いのがわかる。ため息が漏れた。唇を結ぶ。自覚して嫌悪する。
 直美と二人でいると、どうも平常心でいられない。体がムズムズして落ち着かない。何より、直美がかわいいのだ。かわいく思えて仕方がない。自分が守ってやりたいと思ってしまう。これはきっと“恋”と称されるものだ。
 余計な感情の一つ。
 怒りは消化すればすぐに消えてしまう。怒りは続かない。しかし、怒り以外の感情、たとえば独占欲なんかは、正常な思考を長いこと停止させる。だから邪魔にしかならない。欲に駆られて正しい判断ができなくなる。判断を誤ることは、許されない。
 自分にはとても許されないことなのだ。
 かき乱されると困惑する。理性をたもてる自信がない。
 ゲームセンターに足を踏み入れる。音と、光と、独特の雰囲気に体が包まれる。シューティング系のゲーム機の前に立って銃を構えている見慣れた男の背を見つけ、肩を叩く。
「おーい隼人くん」
「はいはい? 今忙しいからちょっと待ってくれん?」
「いやあのさ……なんでお前ゲームしてんの? 見回りしてんじゃなかったの?」
「休憩」
「………………」
 側面にもたれてスニーカーのつま先に目を落とす。機関銃の銃声がえげつないほどの音量で響いている。隼人はおとなしい見た目をしているくせに、カーレースやシューティングなどの激しいゲームが好きな傾向がある。
「あのさ」
「あとでいいんだったら話しかけないで」
「あ、すまん……」
 ありえない早口で即答された。英也の目に隼人の真剣な横顔が映る。こうやっている姿は男らしくて、ふだん気弱な態度をとっているようにはとても見えない。
「ふう」
 しばらくして、隼人が銃を下ろした。すっきりとした快活な笑顔を浮かべている。
「お待たせ。なんだった?」
「なんでもないよ」
 隼人とともゲームセンターをあとにする。英也は指の先でこめかみを抑えた。それに気づいた隼人が声をかける。
「まだ痛いのか?」
「ああ……さっきまで痛くなかったんだけどな」
「もう帰ってろよ。送っていこうか」
「おう」
 目の真横に並ぶ肩を睨みつける。どうしたらこう背が高くなれるんだろうか。何が違うというのだろう。隼人が止めていたバイクの側に寄った。
「おら」
「いらねぇよ」
「駄目だ、つけろ。ちっちぇえんだから」
「うるせー」
「お前が死んだら俺が怒られんの」
「誰が怒るんだよ、んなもん」
「直美」
「………………」
 渡されたヘルメットを被り、そっぽを向く。
「なんで、そういうこと言うんだよ」
「だって見てて面倒くさいし。早くくっつけよ。くっついても面倒そうだけどさ」
「むう」
「ぶっちゃけどうなのよ。いい感じなんじゃねーの?」
「微妙」
 たしかに直美は好意を見せてくれる。だが、それが恋愛かは不明だ。ただ、人とうまくやりたいだけかもしれなかった。
「傷つけるのは、やだ」
「ウワッキモッ」
「いやガチで。あいつ妙に変化嫌いだし、なんか今が居心地いいのかなーとか思うからさ。それなら、そのほうがいいだろうし。楽だし? あいつが悲しまないなら、それでいいし、それがいいと思う。直美だけじゃなくて、みんな」
「ふぅん」
 隼人はどうでもよさそうに相槌を打ってからバイクに跨った。英也がその横に立ち、動きを止める。
 じわじわと脳が侵されていく感覚があった。ゆっくりとうずくまる。
「は、はっ」
「え、おい、大丈夫か」
 隼人の声が遠くに聞こえる。肩に手が触れたのがわかった。スニーカーが地面をこすれる音がする。
「大丈夫かよ」
 吐き気はない。ただただ、痛い。
「猫、猫いないか」
「は?」
「猫……」
「いないよ。っていうか暗くて見えない」
「ん……」
 そばの隼人に縋り付く。ここにいるのが直美じゃなくて、本当によかった。
「おぶってやる。乗れ」
「無理」
「大丈夫だよ、ほら」
 英也は隼人に腕を引かれ、背中に倒れこんだ。広い背中は、思ったよりも薄かった。
「つかまってろよ」
 それきり、記憶がない。




禍殃の黒猫[3]

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作者名:漆原 真 | 作成日時:2015年9月6日 21時

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