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ぐい、と彼の顔がエミリアの耳に近づく。
「――当たった、なんて思いこむんじゃねえぞ。これは保険代わりだ」
笑う彼の口から、鋭い歯がのぞく。赤暗い口腔に、白いそれは気味悪く映えた。
剣が動かなかったのは、彼が握っていたからであった。もちろん刃の部分も握っているのだから、手のひらからは血が滲んでいることだろう。手のひらから、ぎりぎりと音が聞こえるのは、事実か幻覚か。とにかく、それほど強く刃を握り締める様子からは、一種狂気を感じられるほどだった。黄金の濁った瞳は、死者のごとく瞳孔が開ききっている。
そのあまりにも覚悟が決まり切った様子に、エミリアの瞳が一瞬、揺らいだ。先ほどのシトの言葉、そしてそこから蘇った自分の知識も重ね合わせて。
――トーカーもプロトも、ベアマンも全て生物学上は人間、ということくらいエミリアも承知の上だ。そして、それらはすべて「動物」であることも。
けれど、それがどうした。奴らは、奴らは、奴らは。そして、私は。刹那、ベアマンによって変わり果てた姿となった兄の最期がよみがえる。さらに、そこから――
「お、どうした? 怖気づいたか? 思うところでもあるのかぁ?」
上がった息で話しかけてきたシトに、エミリアは眉根をひそめる。
止めろ。ここは通過点だ。
そう彼女は、正気に返ろうと一度己の下唇を噛みしめた。
剣の柄を強く握り、唱え、踏み出す。
「『That’s one small step for man, one giant leap for mankind.』」
――そう。あくまで彼女の言霊は「移動時間を短縮する」だけ。移動場所は視界に入ってさえいればいい。彼の肩ごしの場所など視認するのは容易だった。
重い音と共に、彼女の背後でシトは膝をつく。
抜けないのなら、とそのまま貫いたのだった。刃も、柄も、そして――も。彼女の制服から覗く白かったシャツは、真っ赤に染まっていた。一度彼女が下ろした剣の切っ先から、ぽたりぽたりと暗色の血液が雫としてこぼれる。
倒れ伏したその音に、エミリアはひとつため息をついた。
しかし同時に、それをかき消すように遠くで馬のいななきがした。こんな時間に、と彼女はいぶかしげにその方向を見る。
――ゆえに、地に相対したシトがひそかに口角を上げていることなど、彼女が気づく由もなかったのだ。
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紫清(プロフ) - 嵩画さん» 温かいお言葉ありがとうございます! 読んで下さる方がいるということが何よりの励みになりますので、今後ともよろしくお願い致します。 (2020年3月16日 18時) (レス) id: 840643cfcd (このIDを非表示/違反報告)
嵩画(プロフ) - 毎回更新される度にわくわくしながら読ませて頂いております…今後の展開が非常に楽しみです。お忙しい時期だとは思いますが、頑張って下さい。 (2020年3月16日 17時) (レス) id: 34e937d538 (このIDを非表示/違反報告)
紫清(プロフ) - ももせさん» ありがとうございます! 長くなりそうですが、お付き合い頂ければ幸いです。 (2019年9月26日 0時) (レス) id: 85ba6a0490 (このIDを非表示/違反報告)
ももせ - 小説版すごく楽しみにしていました!今後の展開が気になる…更新楽しみにしてます!! (2019年9月23日 23時) (レス) id: a031215c05 (このIDを非表示/違反報告)
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