【本編小説】この夏は君と。 (ページ41)

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◇旅立ちの朝［藤景紫苑］ページ41

*

「はぁ……」

思わず溜め息が出てしまうような、笑えない状況だった。

何せ……実の父親が屋敷の廊下のど真ん中で自分に向かって土下座をしているのだから。

「お父様、顔を上げて下さいませんか？使用人の方々が見てらっしゃいますから」

周りを見渡すと、朝から忙しくしている使用人たちも思わず足を止めて父の事を凝視していた。

しかし、私と目が合うと何も見ていない振りをして再び歩き出す。

どうやらかなり気を遣わせてしまっているらしい。それもそうだ。誰だって、仕えている主人のこんな姿を見たら対応に困ってしまうだろう。

それでも、父は頑なに動かない。

ようやく口を開いたと思ったら、

「行かないでくれ」

＿＿と絞り出すような声で一言だけ発した。

「お父様、出発する日にそのような事を言われても困ります」

すると、父は同じ態勢のまま顔だけを勢い良く上げた。
先ほどまで床に擦り付けていた所為で少し赤くなっていた顔には、今にも泣きそうな表情が浮かんでいた。

「紫苑～、夏の間ずっと紫苑が居ないなんてお父さんは耐えられないんだよぉ」

我が父ながら、何と情けない声だろうか。

そう、父は私が招待状にあった場所に行く事に反対しているのだ。

こうなる事が分かっていたから父には伝えないでおこうと思ったのに、どうやら今日になって使用人伝いに話を聞いてしまったらしい。

だが、私も夏休み中の予定を全てキャンセルするなどと勝手な事を言ってしまった手前、父に対してあまりキツい言い方はできなかった。

どうしたものか……と頭を抱えていた時だった。

「あなた」

とても涼やかな声が廊下に響いた。

純白のドレスを身に纏った女性……それは私の母だった。

「一家の主がそのようにみっともない姿を晒さないで下さい。それに、普段滅多に我が儘を言わないこの子の願いなのですから、私たちは笑顔で送り出してあげましょう
「お母様……」

「うぅ……だが……」
「これ以上駄々をこねるようなら、使用人たちに力ずくで片付けさせますが？」

尚も不満げな父に、母は冷ややかな声でそう言った。

母の言葉に気圧されて押し黙った父の横を通って、母は私の前に立った。

「紫苑、気を付けて行って来てね。それと……心配なのは私もこの人と同じだから、時間があったら手紙を頂戴ね」
「はい、分かりました。それでは……行ってきますね」

縮こまって廊下に正座している父にも声を掛けて、私は家を出た。