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幾重にも季節を刻んで1 ページ15

春の日和に見合わぬ喪服。淡く色づく花が、黒をいっそう引き立たせた。
顎髭は静かに息を引き取り、眼鏡は約束の通り、それを看取った。最後に交わした言葉は何だったか。確かなのは、握っていた手が滑り落ちるとかそういうベタなことはなかった。話しているうちに、息をしなくなっていた。直前までのからからとした彼の笑い声が、死なんて言葉を蹴飛ばした。
顎髭は血を吐いたわけでもない。本当に静かに空気に馴染むように逝った。老衰というやつである。何かの病気ではあったようだが、はっきりとした病名のない死だ。ただ「死」ということだけが強調された。
「……ただいま」
つい習慣で、顎髭の家に来るとそう言ってしまう。おかえりなさい、と出てきたのは現在の家主であるマスターだ。
眼鏡が何か口にする前に、マスターは次いで言った。
「いらっしゃいませ、お客さま」
「……え?」
マスターはZionにいたときの笑みで眼鏡を出迎えた。
「今晩だけ、Zionを再開します」
「なんで」
「忘れましたか? 顎髭さんはこう仰っていましたよ?」

「最後に、君と酒をもう一度、飲みたかったな」

……何故、忘れていたのだろう。
それがあいつの最期の言葉だった。
「お代はあの方からいただいておりますので」
「死人の金で酒を飲むのか」
「お気持ち代というやつですよ」
何か、約束でもしていたのだろうか。マスターは決まった酒を用意していた。ライウイスキー、ドライベルモット、カンパリ。軽量されたそれらが、かき混ぜられ、とあるカクテルになる。
「オールド・パル……だったか」
「たまにはカクテルもいいでしょう?」
赤に近いオレンジ色に艶めくカクテルは夕日のようであり、いつぞやの雪の中で見つけた花にも少し似ていた。
Adonis……小さな春という割に、今日は咲いていなかった。
「カクテル言葉をご存知ですか?」
唐突な質問に、眼鏡は首を横に振る。存在は知っているが、気にしたことはない。
「花言葉や宝石言葉のようなものです」
「まあ、カクテルも花や宝石に例えられることはあるからな」
一人納得し、オールド・パルを一口飲む。久しぶりの酒は苦くて甘い。
「古き良き仲間、懐かしい人」
自分用にもう一つ作ったマスターが呟いた。
「オールド・パルはそういう意味なのだそうです」
「……そうか」
お代は顎髭からもらったという。お気持ち代。つまり、この言葉に意味を持たせたかったのだろう。
古き良き仲間。それは確かに眼鏡と顎髭の関係を表していた。

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作品ジャンル:純文学, オリジナル作品
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作者名:九JACK | 作成日時:2021年2月27日 3時

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