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Adonisは春を呼び6 ページ14

「ちょっと止まってくれ」
「ああ」
墓地に入るより手前で言われ、止まる。顎髭はゆっくりと地に足をつけ、立ち上がった。
「ここからは歩くよ」
「大丈夫か?」
眼鏡が怪訝な顔をする。
「君は気にしたことないかもしれないけど、この辺りは花が咲くんだよ。踏み潰すのは忍びないだろう?」
墓地に風流も何もあってたまるか、という話だが、花に罪はない。とはいえ、この時期に花とは……? と眼鏡は地面を見て、ぞっとした。
赤い花が咲いていたのだ。少しオレンジに近い赤だが、その具合が見ようによっては血に見えて、冗談じゃない、と思う。
「ちょっと待て」
「うん?」
ゆっくり歩いていた顎髭が振り返る。彼の足跡は花を避けていて、なんとなくほっとした。
「これはなんて花だ?」
「Adonisだよ。見たことない?」
Adonis。有名な花だ。だが、造詣が深くないので、今まで見たことはあっても気にしたことはない。
「なんでこんな色をしているんだ?」
「なんだっけかな、血の色らしいよ」
初見の感想はあながち間違っていなかったようだ。
それはそうと、顎髭がはしゃいでいるのが謎だが。
「なんではしゃいでいるんだ?」
「え、知らないの? Adonisは冬の花だけど、春が近づいた証拠になるんだよ。どこかの国では、Adonisは小さい春見つけたっていうんだそうだ」
「小さい春、か……」
それに応じてさらりと吹いた風は心持ち暖かかった。
「この墓地はね、Adonisが多く咲くんだ。まあ、よく来るから知ってるんだけど。……この墓」
眼鏡はてっきり、いつぞやの歌手の墓参りと思っていたので、辿り着いた先にある、雪の被った墓を驚いて見つめた。
顎髭が軽く雪を払うと紹介した。
「僕の家族だよ」
父とか母とかは言わなかった。家族というのだから、家族なのだろう。
けれど、何故だろうか、その墓の下はさぞや冷たいことだろう、と思った。死んだら体温がなくなるのは誰もが同じなのに。
「憐れまないでくれ」
顎髭から放たれた強い声にはっと振り向く。
「凍える雪も、いつか春が来れば溶ける。死者もずっと寒いわけではないんだよ。……墓の話だけどね」
それはそうだ。
暗喩だったのだろうか。いつか、自分がそうなったとき、という……
いつかの約束を思い出す。自分が死んだら、君が看取ってくれ。墓に杯を傾けてくれ。
その日は、近い。
でもどうか、と願う。
どうか、小さな春を見つけた彼にもう一度だけ春が訪れますように。

幾重にも季節を刻んで1→←Adonisは春を呼び5



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作品ジャンル:純文学, オリジナル作品
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作者名:九JACK | 作成日時:2021年2月27日 3時

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