百九話/星、或いは月か ページ9
突然他人の部屋に入ってきて、｢借りられてくれないかい？｣なんていう男は真面じゃない。
酔っているのかもしれないと思ったが、酒特有の甘ったるいような、とにかく鼻に残る匂いもしない。つまり、この男は素面で云っているのだ。
｢ーーもし、断ったらどうなりますか？｣
｢んーそうだねぇ。敦君に頼もうかな？｣
笑って人の厭なところを的確に突いてくる。
太宰の云いなりになるのは癪だが、敦になるべく迷惑を掛けたくない。それに、Aが行けば敦はゆっくり眠れるだろう。
ーー大事な人には元気でいて欲しい、そう思う。
｢ーー。判りました、行きます……何時位に帰れますか？｣
｢三日後位かなあ｣
｢何云ってるんですか……取り敢えずもう行きましょう。敦君、また明日ね。後、早く寝てね｣
｢う……うん。行ってらっしゃい｣
申し訳なさそうな顔をする敦がなんだかいじらしい。
僕が助けられていれば、なんて思っているのだろうか。
目を伏せている彼の顔から、そう思わずにはいられない。こんなの、自惚れてしまう。
｢ーーーー｣
口を引き伸ばして扉を開ける太宰に軽く目を細め、敦に手を振る。
すると、控えめなお手振りを敦に返されてAは仕方なく外へと一歩踏み出した。
｢ーーーー｣
朝食は作り置きがあるし、昼食は探偵社で摂るだろう。敦も何も出来ない訳では無いし、お茶漬けだって作れる。それ以外にも不安は尽きないが、今は気にしていてももう遅い。
｢よし、じゃあ先ずは私の部屋に行こうか。ーー今夜は帰さないからね｣
｢本でよく見るやつ。……変な事しないで下さいね｣
｢うふふ、やだなあ。そんな事しないよ。唯ーー｣
｢唯？｣
｢Aちゃんにこの太宰治秘伝の技を教えようと思ってね｣
薄く微笑む太宰が少年のように見えて、何だか眩しかった。ーーとても、眩しくて。
｢ーーーー｣
そんな感慨を覚える自分にAは驚く。
眩しいなんて、そんなの。だって彼は光とは対極の位置にいた存在の筈で。今は光の世界で生きているとはいえその過去は消えない。拭えない。
それなのにーー、
｢きらきらしてますね、何だか｣
｢ーー。ふふ、矢っ張り似ているよ、君は｣
｢誰にですか？｣
｢誰、なんだろうねぇ｣
｢ーーーー｣
相変わらず太宰は掴めない。
これ以上はやりこめ、はぐらかされるだけだとAは察する。
故にこれ以上突っ込むことをやめ、歩き出す太宰の背中を無言で追い掛けた。
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作者名：女中 | 作成日時：2022年6月11日 11時
