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ずい、とパステルブルーの宝石が近付く。はらりと頬の上に落ちて来た白銀の絹糸を払い、月見は「ん」と曖昧な返しをした。
本当に、いつ見ても父が雇ったこの小間使いは機械的で無機質だ。色素の薄い瞳も、乱れを許さぬよう一つに結われたアッシュブロンドの髪も、皺や汚れを寄せ付けないスーツも、貼り付けた無の仮面も。その全てが美しくも冷たく、彼女が持つ中性的な魅力を助長させながらも自然と他者を跳ね除けている。何をしている時も全く表情が変わらない為、一度など本当に高性能なロボットなのではと疑った程だ。まあ、こちらとしては下手に馴れ馴れしくされるよりマシだが。微笑みと建て前が必要な人付き合いはあまり得意ではない。
アンナ・バルスコヴァは手袋に包まれた細い指先で自らが守る幼い主人の額に触れ、乱れた前髪を整えた。それはもう、いつも通り意味も無く大真面目な顔で。この表情はアンナの取り扱い説明書だ。彼女はそれを予め他人に見せる事によって、自分が相手と親しくなるつもりなど毛頭無い事を示している。
「中々無い長旅だったからな、月見も疲れただろ。荷物を整理したら今日は早めに寝とけ」
運転席の方から聞き慣れた従姉____
古い飛行機に据え付けられた様な四連メーターに視線をやりつつ、星花は慣れない手付きでハンドルを切った。ある程度覚悟はしていたもののやはりこの車は扱い難い。月見の姉が何故こんな遺物を好いているのか、乗ってみれば少しは分かるかも知れないと思ったが失敗に終わったようだ。知識が変な方向に偏っているペシミスト的な妹も含め、本当にこの姉妹は自分の理解の範疇をはみ出た所に立っている。
UAZがぎこちなく動きを止める。月見はアンナの手を借りて1958年を脱出し、涼しい風が掻き混ぜるロシアの空気を吸い込んだ。肺を満たしたそれは東京のものと比べて少し冷たかったが、幸いな事に古い傷の一つである喘息がぶり返す気配は無い。やはり星花の勧めに従って療養に来たのは正解だった。当分は都会の澱んだ空気を吸う事も、煩わしい担任からの連絡に応対する事も無いだろう。
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