エッシャーの迷宮/納棺師 ページ20
「終わったよ」の声につられて接着剤で貼り付けたかの様にぴったりと閉じた瞼を持ち上げ、長らく放棄していた視覚を取り戻す。しかしやはり視界は薄い綿雲の様なもので遮られており、近くにある筈のカールの輪郭も曖昧にぼやけていた。殆ど使い物にならないのにまだ完全に見えなくなっているわけではないというのは妙な事だった。いっそこの視界を真っ黒に塗り潰す事が出来れば、より一層鋭敏さを増すであろう他の四つの感覚でもっと彼を感じる事が出来るだろうに。
これで満足しただろうと棺桶の底に手をついて起き上がる。が、上半身を起こしたところでカールが私の肩を優しく掴んだ。中途半端な体勢のまま動きが止まる。
「目、開けないで」
手袋に包まれた彼の手が目を塞ぐ。彼にとって、自らが丁寧に細工を施した死体というのは一つの作品である。それに瑕瑾を付けられるというのは堪ったものではないのだろう。死人は勝手に動いたりまして目を開けたりはしないのだから。
「えー、だって目開けないとちゅー出来ないじゃん」
「……僕がやるから」
カールは一瞬視線を宙に彷徨わせて逡巡した後、私に言い聞かせる様に呟いて常に顔の半分を覆っているマスクを外した。吸い寄せられる様にして重なった唇の感触に大人しく目を閉じ、彼に身を預ける。完璧に死体を演じる事こそ、彼への最大の愛情表現となる。
唇同士が優しく触れ合い、吐き出された吐息が空中で混ざり合った。肌の境界線を溶かして伝わって来る温もりはカールがまだ完全には死に染まっていない証拠だ。彼はいつも触れるだけの控えめなキスしかしない。理由なら簡単に察しがつく。折角仕上げた化粧が崩れてしまうのが嫌なのだ。私は彼にとって恋人である前におもちゃの死体でもある。それで良かった。それが良かった。その事実があるだけで幸せだった。
か細い息遣いが鼓膜を揺らす。エンバーミングの際に使う薬品の香りが肺を満たす。彼が先程まで啜っていた紅茶の微かな味が口内に広がる。頬を撫ぜる銀色の髪が感覚を刺激する。いつも通り思考を支配していく彼の全てを脳に刻みつけながら、私は暗い暗い迷宮へと身を投げた。どうか今度こそは迷い込めますように、と名前の無い神様に祈って。
この小説をお気に入り追加 (しおり)
登録すれば後で更新された順に見れます 150人がお気に入り
お気に入り作者に追加
この作品を見ている人にオススメ
この作品を見ている人にオススメ
「短編集」関連の作品
違反報告 - ルール違反の作品はココから報告感想を書こう！(携帯番号など、個人情報等の書き込みを行った場合は法律により処罰の対象になります)
聴(プロフ) - 十弧さん» いえいえ！お返事ありがとうございます！相変わらず綺麗な文章でとても羨ましい....！ゆっくり十弧さんのペースで体調に気をつけつつ更新頑張ってください！ (2019年8月17日 22時) (
レス) id: c7868a9ed4 (このIDを非表示/違反報告)
十弧(プロフ) - 聴さん» お久しぶりです…！最近うらつくに出入りする間隔も長くなってきていて、中々お返事出来ずに申し訳御座いません。第五人格良いですよね〜！私も大好きで書いていて楽しいので、そう仰って頂けて嬉しいです！これからも少しずつではありますが書いていきたいと思います！ (2019年8月13日 13時) (レス) id: f05eea04c6 (このIDを非表示/違反報告)
聴(プロフ) - こんばんは、お久しぶりです。覚えておいででしょうか。リトの親です。最近第五人格を始めたので十弧さんの第五人格が読めてハッピーです！ありがとうございます！ (2019年8月9日 19時) (レス) id: c7868a9ed4 (このIDを非表示/違反報告)
十弧(プロフ) - ナ子。さん» コメント並びに応援のお言葉、有難う御座います。自分で言うのもなんですが、キャラだとおジョゼが一番特徴的かもしれませんね(笑)更新は遅めですがこれからも楽しんで頂けるよう精進して参りますので、何卒宜しくお願い致します！ (2019年4月21日 9時) (レス) id: f05eea04c6 (このIDを非表示/違反報告)
ナ子。(プロフ) - 少し前から読ませていただきました・・・とてもキャラが立つ文章のため面白く読ませてもらってます。応援してます！ (2019年4月21日 9時) (レス) id: 848e96a0c3 (このIDを非表示/違反報告)
作品は全て携帯でも見れます
同じような小説を簡単に作れます → 作成
この小説のブログパーツ
