いまを春べと (ページ42)

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「…覚えてたんですね。」

「もちろん、ちゃんと覚えてるよ。」

「私、変わらないですか？」

「変わらないよ。嬉しいとか、楽しいってとき、ふわぁって笑うの。桜が咲いたみたいで、何回でも見たくなる。」

そう言ってから、七五三掛さんは慌てた様子で目を伏せた。まるで、言ってはいけないことを言ってしまったように。

「……もう、外暗くなってきたね。俺お家まで送るよ。」

珍しく早口になる七五三掛さんの後を追うように、私は帰る支度を始めた。頭が空っぽになって、もう何も考えられない。

玄関を開けた瞬間頬をなでた空気はほんのりと冷たくて、私はなぜか泣きたくなった。七五三掛さんが貸してくれた黒のジャケットを羽織って、胸の前でかき合わせる。

「…私も、好きです。七五三掛さんの、笑った顔。」

前を歩き出した七五三掛さんの足が、止まる。

「これからも一緒に笑っていたいって、言ったらだめですか？」

白い首筋を見つめながら、私はじっと言葉を待った。

「…ごめん。俺、Aちゃんのこと、好きだ。」

ごめん、ともう一度つぶやいて、七五三掛さんがこっちを向く。

「１個だけ、約束してくれる？もし、苦しいって思う瞬間が1回でもあったら、俺から離れて。」

私は、何も言わなかった。ただ横に並んで、震えている彼の手に同じくらい震えている自分の手を重ねる。

そっと握り返された瞬間、彼の目から一筋だけ涙がこぼれるのが見えた。

それからは、お互い何も言わずに歩いた。私も、きっと七五三掛さんも、手の中にあるお互いの体温を離さないようにするだけで精いっぱいだった。