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そうしてある日、念願の時が来た。
彼の外出時に私を縛るものが外れたのだ。そう、そうだ。私はこの時を待っていた。決して人生を諦めてあの男に屈した訳じゃない。私はいつだってずっと、ここから逃げることだけを考えていたんだ。
朝。多分、朝。彼が例にならって学校へと向かったのは恐らく数時間前のこと。
体内時計が狂っていたらもうお終いだが、兎に角帰ってくるにはまだ早いこの時間。今しかないと立ち上がる。
久々に自由を手に入れた両手を見つめて、グッと握りしめた。細い。病的な細さだ。
力を入れた足も何とも頼りない。産まれたての子鹿のような覚束無い足取りで扉へと向かってドアノブに触れる。冷たい。
…………震えている。大丈夫、息を吸って。
かけた右手に伝わる金属の冷たさが、この先に起こる事態を宣告しているかのように思えた。
先の知れぬ不安と、奇想天外な出来事の予感。違う、そんな訳がない。ここに居すぎたせいで正常な判断ができていないだけだ。逃げるならもう、今しか。
自分の中に残る最後の力を振り絞って、ドアノブを下げた。
カチャリと音を立てて、廊下の光が部屋に一筋、差し込んだ。
「っ、…………。」
開い、た。
出れる。この部屋から、この家から、抜け出せる。
その瞬間、今までの凄惨な仕打ちと虐げられた日々が一気に頭を駆け回り恐怖とも不安とも違う何かが私の底から溢れ出す。
やっと逃げ出せる嬉しさと、これまでの苦痛が色となり、形となり、現実味を帯びて私の涙腺を震わした。
首を振って、天を仰ぐ。今すべきはそれじゃない。一刻も早くこの場を去って、己が足で警察へと駆け込むことだ。
一歩踏み出す。息を吸う。
あの男の匂いは微かに残っているけれど、彼の囁く愛の言葉と私の嗚咽が入り乱れたこの部屋の空気よりかは幾ばくがマシに思えて。
フラフラと、左右の壁に手を添えながら玄関へ歩く。やけに長い廊下。最初は美しいと思っていた内装も、今となっては地獄のように思われて。
───そうして、曲がった先。玄関を視界の内に認めた私は、大きく息を呑んで、その場に立ち尽くしてしまったのだ。
「………………え?」
……今、煉獄先生は、家にいない。
じゃあ。それならば。
……一体、どうして…………彼の靴が、
「───何をしてるんだ?」
ひゅっ、と喉元を駆け抜ける空気。
私の足は、もう動きそうにない。
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える(プロフ) - はじめまして、今まで読んだ作品の中で一番私にハマった作品です…本当に素敵な作品です。もう本当感謝しかないですありがとうございます!!! (2021年2月15日 20時) (レス) id: 34190a2143 (このIDを非表示/違反報告)
凪子(プロフ) - すごい!一気読みしましたよ!怖かったけど…なんか、なんか、すごかった!! (2021年2月1日 19時) (レス) id: 33c3d87eb8 (このIDを非表示/違反報告)
ゆき(プロフ) - すずさん» コメントありがとうございます!!その褒め方は初めてされました!!笑 進撃知らないですが友人から伏線が凄いとだけ聞くので多分めちゃめちゃ褒められてますよね、嬉しいです!!笑 こちらこそ、最後までお読み頂きありがとうございました!! (2021年2月1日 0時) (レス) id: debafb75d4 (このIDを非表示/違反報告)
すず(プロフ) - 伏線回収が進撃の巨人並みにすごすぎます。。めちゃくちゃ面白かったです。。。最高です。。 (2021年2月1日 0時) (レス) id: bf756d4cb5 (このIDを非表示/違反報告)
ゆき(プロフ) - 衣世さん» コメントありがとうございます!言葉選びには気をつけているので、そう言って頂けてとっても嬉しいです!!春の消失点の方もお読みいただきありがとうございます!とっても素敵なコメント嬉しいです!! (2021年1月30日 22時) (レス) id: debafb75d4 (このIDを非表示/違反報告)
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作者名:ゆき | 作成日時:2021年1月17日 20時