＿ ページ15
冬が訪れた頃には私は彼のことを辻さん、と呼ぶようになって、彼も私のことを名前で呼んでくれるようになっていた。
苗字をすっ飛ばして下の名前で呼ばれるのは照れくさかったし、なにか意味があるのではないかと勘ぐったけれど、それ以上に嬉しくて幸せだった。
『Aちゃん、来たで』
「辻さん。こんにちは」
『今日はな、Aちゃんに言わなあかん事があって』
「…ん？なんですか？」
『俺、来年の春、東京に行く』
「………えっ？」
ふわふわの髪の毛をかきあげながら、彼は私の眼を見て言った。
「…えっと、旅行？」
『ううん、引っ越す』
「あぁー…お仕事で、ですか？」
『まぁ、そやな』
彼のバンドって、そんなに有名だったのか。
そういえば私、彼のバンドの名前すら知らない。
彼が書いた曲の名前も、ひとつも知らない。
もちろんライブにも行ったこともないし、そもそも彼の連絡先も知らない。
仲良くなれたとはいえ、彼はお客様だ。自分から深入りはしないほうがいいと思って、今日まで何も訊かずにいた。
「そうなんですね、頑張ってください」
『ありがと』
「…はい」
『まぁまだあと何ヶ月かあるし、また来るわ』
彼は、今日はそれだけ言いに来てん、と片手をひらりと振ると、そのまま去っていった。
遠くなるその背中が、滲んでゆく。
情けないことに、私が彼への恋心を自覚したのは、この時が初めてだった。
それからも彼が店に来てくれるペースは変わらなかった。ふらっと訪れては、他愛もない話をして、じゃまた、と笑って帰っていく。
"東京"というワードはあの日以来１度も出てこない。私からも、なにも言えなかった。
東京に行ってしまったら、きっともう会えなくなるんだろう。でも彼からは連絡先も訊かれなければ、具体的にいつ引っ越してしまうのかも教えられなかった。
所詮、私はそんな存在だ。
よく行く楽器店の、ただの店員。
想いを伝えて振られるよりも、このままお別れしたほうがマシだと思った。
この小説をお気に入り追加 (しおり)
登録すれば後で更新された順に見れます 286人がお気に入り
お気に入り作者に追加
違反報告 - ルール違反の作品はココから報告感想を書こう！(携帯番号など、個人情報等の書き込みを行った場合は法律により処罰の対象になります)
いと(プロフ) - あすさん» リクエストありがとうございます！設定承知いたしました(^^)だいぶお待たせしてしまうかと思いますが素敵なものが書けるように頑張りますのでよろしくお願いします！ (5月12日 13時) (
レス) id: e04103a2be (このIDを非表示/違反報告)
あす(プロフ) - リクエスト失礼いたします。krmさんで付き合っていて道中でkrm見かけて勇気出して声をかけにいこうとしたら隣には綺麗な女性いて自信をなくしてkrmさんから離れていこうとするのを引き止められるお話読んでみたいです。よろしくお願いいたします。 (5月12日 8時) (レス) id: 1458cfae01 (このIDを非表示/違反報告)
いと(プロフ) - 神楽さん» リクエストありがとうございます！高校生設定かしこまりました！誰オチでも大丈夫ですかね？(><)できるだけ長めのお話書けるように頑張ります(^^)！ (4月29日 12時) (レス) id: e04103a2be (このIDを非表示/違反報告)
神楽(プロフ) - myrkとlcdの高校生設定で、友達から段々発展していくお話読んでみたいです！長編だと有難いです…！ (4月29日 3時) (レス) id: 4f1d6e068e (このIDを非表示/違反報告)
いと(プロフ) - ユカさん» リクエストありがとうございます！遠距離のお話好きなのでありがたいです(^^)笑 お時間かかりますが書かせていただきますのでよろしくお願いします！ (4月28日 15時) (レス) id: e04103a2be (このIDを非表示/違反報告)
作品は全て携帯でも見れます
同じような小説を簡単に作れます → 作成
この小説のブログパーツ
作者名：いと | 作成日時：2024年3月6日 22時
