＊ ページ47
その日僕は数冊の本を風呂敷で包み、背に掛けて
中島裕翔の元を辞した。
これまでも本を読まない訳じゃない。
殊、先生が受けた依頼のためならどんな知識だって欲しい
と思ってきた。
でも今日借りた本達は恐らく仕事に直結するものではない。
純文学だったり、冒険忌憚であったり、怪異記聞だったり、
ただただ目に止まったそれらの頁を僕はひたすらに捲った。
読み終えると再び訪問し新しい数冊を借りる、そんな日々
を送るうち僕は中島裕翔と言葉を交わす事も増えていった。
「知念君はどんな本が好きなの？」
「……好きとか嫌いとかそんな風には思ったことは
ありません。それに読んでも読んでも僕には
全てを理解出来る気がしないんです」
きっと僕にはあまりに欠落している部分が多いのだ、
そう思っていた。
しかし、中島裕翔はとても意外な反応をしてみせた。
「いのちゃんも同じことを言ってたな、
完璧に理解できるものなんてこの世にはない
んだよって。知ったふりして生きるのがちょうど
良いって。」
瞬間、府に落ちた気がした。
同時に脳裏に浮かんだのは薮先生の姿、それからあの頼り
ない煙のたなびき。
「……今日はこれで失礼します。
たくさんの本をありがとうございました。」
“にゃあ”
真っ先に鳴いたのはミケだった。
夕暮れの三叉路を走り抜け、路面電車に乗り込む。
宵間町に着いた頃辺りはすっかり陽が沈んでいた。
本当に夜が来るのが早いところだ。
下駄の歯を鳴らし灰色のビルを目指す。
塞がれたままの郵便受けを横目に狭い階段を駆け上がった。
「……先生、」
入り口に鍵は掛かっておらず、薄暗い室内で薮先生は
ひとり窓際に立っていた。見上げた先には三日月、
あれからひと月が経ってしまった。
僅かと言うべきかもしれないけど、
僕には長い長い空白に感じた。
「やぁ知念、久しぶりだね。
有意義な休暇過ごしているかい？」
果たして先生も同じなのだろうか。
「…先生、僕はこの休みの間本をたくさん読みました。
知らない世界に触れる行為が空白を埋める術になる
のかもしれないと思ったんです。
でも到底全てを理解することは出来ませんでした。」
「聡明な知念にも分からないことがあるんだな。」
分からないことばかりだ、
だから先生は探偵業から距離を置いた。
この小説をお気に入り追加 (しおり)
登録すれば後で更新された順に見れます 990人がお気に入り
お気に入り作者に追加
違反報告 - ルール違反の作品はココから報告感想を書こう！(携帯番号など、個人情報等の書き込みを行った場合は法律により処罰の対象になります)
ぴよ(プロフ) - 梨乃さん» 梨乃さん長い間本当にありがとうございました。何度も読み返したくなるお話を書きたいと思ってきたのでとても嬉しいです。終らせてしまうのは私自身にも寂しさがあったのですがお話もいっぱいになりちょうど頃合いなんだろうなという気持ちです。 (2023年2月5日 12時) (
レス) id: e4c9d3b3cb (このIDを非表示/違反報告)
梨乃(プロフ) - 6年前初めてこのサイトで読んだ作品が浪漫廻廊でした。ぴよさんの紡ぐ言葉が美しくて、何度も何度も読み返したとても印象深い作品です。素敵な作品と出逢わせていただき本当にありがとうございます。 (2023年2月5日 0時) (レス) id: 74d5f2a7dd (このIDを非表示/違反報告)
ぴよ(プロフ) - けーままさん» けーままさんありがとうございます。そう言って頂けて嬉しいです。ずっとずっと私の頭の中にも懸命に生きる彼等が見えますよ⭐ (2023年1月27日 13時) (レス) @page47 id: e4c9d3b3cb (このIDを非表示/違反報告)
けーまま(プロフ) - ぴよさんの文章は本当に素敵です。何回も読み返す度に頭の中で彼等が生きています😌 (2023年1月26日 20時) (レス) @page46 id: 3a21aa44cd (このIDを非表示/違反報告)
ぴよ(プロフ) - 遅くなりました。夏夢さんお元気でしたか？コメントありがとうございます。世界が動いた時にはまた共有したいなと思いながらもご無沙汰しております。穏やかにありたいですね。 (2023年1月25日 13時) (レス) @page45 id: e4c9d3b3cb (このIDを非表示/違反報告)
作品は全て携帯でも見れます
同じような小説を簡単に作れます → 作成
この小説のブログパーツ
