＊ ページ41
「分かりました。診てみましょう。」
小さな身体に聴診器を当てる。
先に挟んだ体温計はもう随分と高い。
カタカタ…
ほらまた風が吹いている。
母親は我が子のその様をただじっと見つめていた。
午後の静けさがじわじわと診療室を満たしていく。
「……もしこの子が助かる見込みのない不治の病だと
言ったらあなたはどうするのですか？」
母親はそっと眼差しを上げた。
深く艶めいた黒色の瞳が真っ直ぐに俺を捉える。
「……
したらその時までずっと傍らに寄り添います。
仕事にも行かないわ、好きな子守唄をずっと聞かせて
あげたいもの。
私の生きる場所はこの子のそばだけ。どんなに足掻い
ても母親であることはやめたくないから。」
当たり前の様にそう言い切る彼女の姿に俺は自分を
恥じた。とんだ愚問だ。分かっていた事だろう。
「それでどうなんですかうちの子は？」
「大丈夫、ただの風邪です。このところの寒さが
堪えたんでしょう。解熱薬を処方します。
預け先でゆっくり休んでいればすっかり良く
なりますよ。」
彼女は、今度こそ深い安堵の息をついた。
それから我が子をそっと抱きしめ、
「先生ったら意地悪ね。
でもなんだか安心したわ。
慈悲深いばっかりじゃきっと疲れてしまうもの。」
そう言ってにっこりと微笑んだ。
「ありがとうございました」
薬を受け取り診療所を去った彼女はきっと今夜も仕事へと
向かうのだろう。
我が子を預け、母親の顔から身を売るひとりの女性として、
この街で生き抜くために。
……
……
「ただいま、圭人」
港へ用達に出ていたやまちゃんが帰ってきたのは空が夕焼け
に染まる頃。
抱えた舶来の包装紙には懐かしい英国の品々が収められて
いる。
「雄也から受け取ってきたぞ、
ほら圭人の好きな紅茶もちゃんとある」
誇らし気に胸を張るやまちゃんが愛おしい。
「……けい、と…っあ」
少し強引に手をひくと不意をつかれたやまちゃんはこち
ら側に身を預ける格好になる。
そっと抱きしめるだけじゃ足りない。
「どうしたんだ？」
「……懐中時計忘れていったよ、不安なんだ。
やまちゃんの
運命なんて知らない。
誰が決めたの、というならば
自分自身だと今なら胸を張れる。
君を残しては逝けない。
嗚呼今夜も北風は止みそうにない。
終話
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ぴよ(プロフ) - 梨乃さん» 梨乃さん長い間本当にありがとうございました。何度も読み返したくなるお話を書きたいと思ってきたのでとても嬉しいです。終らせてしまうのは私自身にも寂しさがあったのですがお話もいっぱいになりちょうど頃合いなんだろうなという気持ちです。 (2023年2月5日 12時) (
レス) id: e4c9d3b3cb (このIDを非表示/違反報告)
梨乃(プロフ) - 6年前初めてこのサイトで読んだ作品が浪漫廻廊でした。ぴよさんの紡ぐ言葉が美しくて、何度も何度も読み返したとても印象深い作品です。素敵な作品と出逢わせていただき本当にありがとうございます。 (2023年2月5日 0時) (レス) id: 74d5f2a7dd (このIDを非表示/違反報告)
ぴよ(プロフ) - けーままさん» けーままさんありがとうございます。そう言って頂けて嬉しいです。ずっとずっと私の頭の中にも懸命に生きる彼等が見えますよ⭐ (2023年1月27日 13時) (レス) @page47 id: e4c9d3b3cb (このIDを非表示/違反報告)
けーまま(プロフ) - ぴよさんの文章は本当に素敵です。何回も読み返す度に頭の中で彼等が生きています😌 (2023年1月26日 20時) (レス) @page46 id: 3a21aa44cd (このIDを非表示/違反報告)
ぴよ(プロフ) - 遅くなりました。夏夢さんお元気でしたか？コメントありがとうございます。世界が動いた時にはまた共有したいなと思いながらもご無沙汰しております。穏やかにありたいですね。 (2023年1月25日 13時) (レス) @page45 id: e4c9d3b3cb (このIDを非表示/違反報告)
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