＊ ページ16
「やまちゃん、」
いつもの呼び方に戻った圭人が
困った様に言った。
聞こえないふりを決め込んで目を
閉じたまま尚も指先だけを動かす。
シャツの裾から差し入れて直にそこに触れ
てみれば、他とは違うひきつった様な感触。
次の瞬間、そっと重ねられた手のひらごと
引き上げられシーツに縫い留められる身体。
暗闇にあって反転する視界を感じるのは、
真上から圭人の声が降ってくるから。
「……もう一回する？」
ゆっくりと目を開ければ
ほぅら、深く茶色の瞳がこっちを見ている。
「圭人の
か？」
戯れ言をそっと唇で塞がれて、
再びギシギシと鳴り始めるベッド頃
さっき迄触れていた筈の彼の古い傷跡は
今宵も再び手の届かない処へ行ってしまった。
……
……
「それを知ってどうするんだい？」
檸檬が浮かんだ紅茶啜りながら薮先生が
言った。
ひかる先生からのお土産なのだろう、懐か
しい香りがする。
長い長い航海に耐えようやっと降り立った
英国の湊町。
靄が掛かった様に自由を失っていた俺の身体
はちっとも言うことを聞かなかったけれど、
あの日感じた英国の香りは今も忘れる事はない。
知らない国の知らない香り。
それが今ではこんなにも懐かしい。
知ってしまえば逃れられないのだ。
「先生が言いたい事は分かるよ。
知らぬままに生きる道だってある。
過去を掘り起こして何になる。
俺もずっとそう思ってきた。」
だからこそ知らぬふりをしてきた。
圭人が語らぬ英国での日々に、
脇腹に残る深い傷跡に。
でもそれじゃあ、
「俺だって圭人を守りたいんだ。」
病に伏して尚も裕翔を温かく包み込むいの
ちゃんの強さ。
傍らに寄り添い続ける事を選んだ裕翔の優
しさ。
隣で息をするとはそういう事だと彼等の姿
は教えてくれる。
守られているだけでは
共に生きるとは言えない。
「依頼を引き受けよう。」
先生はそう言って薄く微笑んだ。
それから数ヶ月が過ぎた頃、圭人がいのちゃ
んの往診へと出掛けた直後に診療所へとやっ
て来た知念は“調査結果“と題した分厚い書類
を取り出した。
「では、僕はこれで失礼します。」
早々に帰ろうとする彼を掴まえて、
無理矢理に紅茶をご馳走した。
不思議そうな顔をしながらも知念は、
黙ってカップを啜ってくれた。
「……涼介、怖いの？」
傷跡に触れて
良いですか？
続
この小説をお気に入り追加 (しおり)
登録すれば後で更新された順に見れます 990人がお気に入り
お気に入り作者に追加
違反報告 - ルール違反の作品はココから報告感想を書こう！(携帯番号など、個人情報等の書き込みを行った場合は法律により処罰の対象になります)
ぴよ(プロフ) - 梨乃さん» 梨乃さん長い間本当にありがとうございました。何度も読み返したくなるお話を書きたいと思ってきたのでとても嬉しいです。終らせてしまうのは私自身にも寂しさがあったのですがお話もいっぱいになりちょうど頃合いなんだろうなという気持ちです。 (2023年2月5日 12時) (
レス) id: e4c9d3b3cb (このIDを非表示/違反報告)
梨乃(プロフ) - 6年前初めてこのサイトで読んだ作品が浪漫廻廊でした。ぴよさんの紡ぐ言葉が美しくて、何度も何度も読み返したとても印象深い作品です。素敵な作品と出逢わせていただき本当にありがとうございます。 (2023年2月5日 0時) (レス) id: 74d5f2a7dd (このIDを非表示/違反報告)
ぴよ(プロフ) - けーままさん» けーままさんありがとうございます。そう言って頂けて嬉しいです。ずっとずっと私の頭の中にも懸命に生きる彼等が見えますよ⭐ (2023年1月27日 13時) (レス) @page47 id: e4c9d3b3cb (このIDを非表示/違反報告)
けーまま(プロフ) - ぴよさんの文章は本当に素敵です。何回も読み返す度に頭の中で彼等が生きています😌 (2023年1月26日 20時) (レス) @page46 id: 3a21aa44cd (このIDを非表示/違反報告)
ぴよ(プロフ) - 遅くなりました。夏夢さんお元気でしたか？コメントありがとうございます。世界が動いた時にはまた共有したいなと思いながらもご無沙汰しております。穏やかにありたいですね。 (2023年1月25日 13時) (レス) @page45 id: e4c9d3b3cb (このIDを非表示/違反報告)
作品は全て携帯でも見れます
同じような小説を簡単に作れます → 作成
この小説のブログパーツ
