５話 孤独 ページ5
血を這うような声とはまさにこの声を指すに違いない。低い低い、洞窟の奥底から響くような声。
私の時が止まり、やっと動く視線だけを正面へ動かして行く。下駄、肌色、黒い和服、鮮血の帯、また肌色。そして行き着いた顔はまさに鬼の形相であった。黒く太い眉の間には皺が深く刻まれ、黄金色の眼光だけで人を殺めそうな勢いだ。そして額には――――
「角……」
黒々とした先の尖った二本の角が額から天目掛け生えている。よく見れば下駄に包まれた足もやや大きく骨張っていて爪が鋭い。
この人が、そうなんだろうか。
汗が首筋を伝い、渇いた喉が鳴る。星屑を閉じ込めたような瞳から目が離せない。
「あの――「立ち去れ」
決して大きくはない声なのに心臓を握り潰されそうになる。でもこちらを睨む目の奥底は何処か寂しげに見えて。
「立ち去れと言っている！！」
「っご、ごめんなさい！」
一瞬彼が絵本で見たような黒鬼に見え、慌てて来た道を戻る。屋敷の裏へ走り、潜り戸を抜けて階段を駆け下りる。その後はもう勢いに任せて下山し、気付いたらおばあちゃんちの縁側で腰を抜かしていた。驚いたおばあちゃんが冷たい麦茶を淹れてきてくれ、隣に腰を下ろす。
「すごい汗だね、大丈夫かい？」
「うん……ねぇ、おばあちゃん」
先程起こった事を話そうとして、口を結ぶ。鳥居の先へ行った事は話してはならない。言いつけを破ったと知れば悲しませてしまう。麦茶を一口飲んで、どう話そうか考える。
「おばあちゃんは一人で寂しくない？」
「私はこうしてAが遊びに来てくれて、おじいちゃんとの思い出もある。だから寂しくないよ」
「へへ、そっか」
あの鬼は一人で暮らしているんだろうか。あんな広いお屋敷だから誰かいるかもしれない。
じゃあどうしてあんなに寂しげに感じたんだろう。
鋭い角に口から覗く牙。そして手足の爪は獣のそれであった。鬼は本当にいた。いたけど、人を食べるとは思えない。
何だか難しい事を考えていたらお腹が鳴った。そういえば朝ご飯も食べていない。そろそろお昼だ。甘いものも食べたい。
――――そうだ、甘いもの。
「おばあちゃん、ご飯食べてから草餅って作れる？」
「？ええ、作れるけど。食べたいの？」
「うん。あと明日も食べたいから、沢山作っていい？」
「ふふ、もちろん。じゃあご飯にしましょう」
一緒に立ち上がり、台所へ向かう。
甘いものは人を幸せにすると思う。おばあちゃんの草餅は絶品で、きな粉を付けて食べればあら不思議。嫌な事は弾けてしまう。
寂しいのはきっと辛いから。
.
この小説をお気に入り追加 (しおり)
登録すれば後で更新された順に見れます 8人がお気に入り
お気に入り作者に追加
違反報告 - ルール違反の作品はココから報告
作品は全て携帯でも見れます
同じような小説を簡単に作れます → 作成
この小説のブログパーツ
作者名：雅 | 作成日時：2019年2月23日 16時
