その一七〇、 ページ28
――
机の上に置かれた数冊の文庫本の上に手にしていたもう一冊のそれを積み上げる。静かな空間は読書には持って来いの場所だが、Aは活字慣れはしていても元来読書好きな方ではない。静かな場所で本を読んでいるくらいなら外へ出て、色々な物を見て歩きたい。だが、生憎と今日はそれを止められている。
そしてまた文庫本の小山に視線を戻し、また一番上の本を取り読みかけたページまでを開くという既に何度目か繰り返した行為の最中ふと頭を過ぎった言葉にAは意識を止めた。
「貴女はいつも笑っているんですね、かあ……」
先刻、露木に言われた言葉を思い出して、Aはまたにこにこと首を傾げて笑った。どうして笑っていられるの、そう言われた事も幾度となくある。その度にAは、そんなによく笑っているのかなあ、と不思議に思うだけだった。
けれどもどうしてももうできないときは、落ち着いて笑っていなければならない。……そう言う人だっているのだから、きっと笑うのは悪い事ではないのだろうとAは思っている。
露木に言われた言葉に引っ張られて、今度は露木修平という人の事を考え始める。責任感が強くて、常識的で社会的な大人であろうとする人。……続けて、車守盾一郎、月満弓景、狼谷吊戯を、そして塔間泰士という人を頭の中に描いていく。
「つるぎくんと、――――……副支部長さん」
大人の世界はいつも色んなしがらみに囲われていた。今も昔もそれは変わらない癖に、20年という歳月は確かに鈴谷Aと彼らを切り離してしまっている。全く身勝手だ、卑怯だ、といらない言葉ばかりが頭を過ぎる。最近はずっと思い出さないでいられたのに、こんな時にばかり瞼の裏に思い返すのはいつか焼き付いた真っ赤な夕暮れだ。
めまいを覚え椅子の上でふらついたAはちりん、と後ろ髪で鳴った鈴の音に慌てて遠い記憶をまた奥深くへとしまい込んだ。その表情に浮かぶのはやはり笑顔だが、それは何処か弱弱しいものに変わっていた。
「……ごめんね」
誰もいないのにその言葉を告げる狡さに気付きながらAはもう一度だけ、何者かに向けての懺悔を口にした。
空っぽの心がずきりと痛む。どうして、と尋ねられる相手も応えてくれる誰かも、彼女の傍にはいなかった。他人の痛みすら理解できないのに、自分自身の痛みなんて分かるはずもないのだと何処か遠くを見つめる様な目をして、Aは手にした本をまた元の場所へと積み上げた。
――
続く
お気に入り登録で更新チェックしよう!
最終更新日から一ヶ月以上経過しています
作品の状態報告にご協力下さい
更新停止している| 完結している
←その一六九、
この小説をお気に入り追加 (しおり)
登録すれば後で更新された順に見れます 193人がお気に入り
お気に入り作者に追加
この作品を見ている人にオススメ
この作品を見ている人にオススメ
「オリジナル」関連の作品
違反報告 - ルール違反の作品はココから報告感想を書こう！(携帯番号など、個人情報等の書き込みを行った場合は法律により処罰の対象になります)
ゆき(プロフ) - とても素敵な作品ですね！更新頑張ってください！ (2017年8月2日 11時) (
レス) id: c2fac8b8e1 (このIDを非表示/違反報告)
ゆうみん - とても面白いです！！！続きを待ってます！！ (2017年7月21日 20時) (レス) id: 63ea325151 (このIDを非表示/違反報告)
ゆうみん - とても面白いです！！！続きを待ってます！！ (2017年7月21日 20時) (レス) id: 63ea325151 (このIDを非表示/違反報告)
ナガキ - とても面白かったです！続きを期待します。 (2016年5月6日 21時) (レス) id: c8f811e1da (このIDを非表示/違反報告)
ナガキ - 今日初めて貴方様の作品を拝見させて頂きました。 (2016年5月6日 21時) (レス) id: c8f811e1da (このIDを非表示/違反報告)
作品は全て携帯でも見れます
同じような小説を簡単に作れます → 作成
この小説のブログパーツ
作者名：山鳥口十 | 作成日時：2016年3月18日 21時
