最後の日だから １ ページ29
ひょんなことから、謎の誕生日会に参加させられることが決まった朝の診察後、八乙女から元々着ていた青いカーディガンと白いTシャツ、デニムのズボンを手渡された。
八乙女「Tシャツ、ちょっと汚れが落ちきらなかった。」
申し訳無さそうに言う。
伊野尾「そんなっ！気にしないで。元々そんなに綺麗じゃなかったんだし。」
伊野尾は八乙女のしょんぼり姿に焦る。
伊野尾「いろいろ、ありがとう。」
伊野尾は心から八乙女にお礼を言う。
そして、八乙女の側でニコニコと伊野尾を見守っていてくれる薮にも居直って向き合う。
伊野尾「薮も。いつも気にかけてくれてありがとな。」
薮「おっ？今日の伊野尾、何かしおらしいじゃん。」
薮が茶化すように答える。
伊野尾「バーカ。俺はいつでも、しおらしいだよ。」
伊野尾はフッと優しい笑みを浮かべ、薮の茶化しにも軽く余裕をもって受け流す。
その落ち着きと余裕が、不意に不安を駆り立てる。
今日が最後なのだ。
思い掛けず『さよなら』が夜までのびてしまったけど、明日には伊野尾は居なくなる。
そして、此処を去った後、伊野尾はちゃんと自分自身を大切にするのだろうか…
伊野尾の所持品は何も無い。
携帯も、身分証明書、財布も持っていなかった。
ポケットの中に僅かなお金が無造作に突っ込まれていただけだ。
家族は？
家は？
一人ぼっちで孤独に震えることはないのだろうか…
薮「伊野尾。」
薮はそんな伊野尾が急に儚く感じて、思わず名前を呼んでしまった。
伊野尾「んっ？」
伊野尾は少し眉を上げ首を傾げながら薮に返事をする。
薮「…いや、なんでもない。」
薮は右手を口元に当て、伊野尾から目を逸らす。
言いかけてしまった言葉を飲み込む。
伊野尾「変な薮。」
伊野尾はまたフッと微笑む。
八乙女は薮と伊野尾を交互に眺め、困ったように小さくため息をついた。
伊野尾は相変わらずニコニコとしている。
可愛らしい生気の無い人形のように。
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作者名：サツキ | 作成日時：2023年11月7日 19時
