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字とは本来、実名以外につけられる名を差す。この集落のみならず、近辺の村は一概に十五と数えられるまでは本名を隠し、字なるものを与えられる。この村落では花の名前を借りたものを。杜若の花を振り与えられたのは、私以外にはいない。
「なんてことを言うんだ、おまえはッ!」
「だってこの娘しかいないじゃない。親族もいない、家庭もない。身寄りの一人もいない、可哀想な子供なんて!」
その場を制したのは、静寂。沈黙を守り、大人しく雲行きを眺めていたことが悪だったんだと気付いたのは、男の妻である彼女の悲痛な叫びからだった。口をついて出た言葉に、自らが罪の念に駆られてしまったのだろう。夫である男に縋りつく姿は、悪人とはよべない。
「謹んで、拝命いたします。奥方さま」
「杜若、そなた……ッ」
「十三年間、お傍に侍らせていただきました。これ以上、望むことなど在りはしません」
安堵に包まれた空気と、拍手喝采。涙ながらに明日を生きられるという確信をもった者たちから、口々に告げられる。「ありがとう、あなたのおかげよ。あなたのおかげで生き永らえることができる」と。幸福とかけ離れたようでいて、最もちかいであろう微笑みがあった。
――それでいい。そうでなくてはならない。わが身ひとつ、血縁の途切れた命だけ。護るべきものがあるならば、それに越したことはないのだから。少女は
絶句する男とその妻を後目に老爺の前へ歩みでる。そうして小袖の袖先を巻き込み、着座した。
「御仁の許へは、私が参ります」
たった一言、
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作者名:百合郷 | 作成日時:2021年6月19日 4時