天満月-amamitsutsuki-《ars》 (ページ1)

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紫の夢ページ1

「今夜限り、どこでも貴方のお望みの場所へお連れします」
窓の左右に掛けてあるカーテンが、風になびく。
手渡された黒い切符の確かな感触と、暗闇に慣れた目には眩しいヘッドライトに妙な現実感を覚える。

「う、そ…だろ」
それは確かに窓の外に浮かんでいて、自分が寝ぼけている訳ではなさそうだ。
「その切符があれば、貴方の行きたい所にお連れします。お乗りください」
車掌室から、輪郭がぼんやりと歪んだ車掌が言う。
顔は紗がかかったように暗く、表情が伺えない。

体は熱に侵されたかのようにふわふわとしていて、それでも脳ははっきりと覚醒している。
恐る恐る窓から身を乗り出し、横付けされた列車に乗り込んだ。

「どこに行きましょう」
上司の顔が脳裏をよぎる。
「五十嵐株式会社の本社前交差点に」
我ながら、タクシーの注文のようだ。
だが。

その交差点は、俺にとって大切な場所だ。
知らせを受けて以来行っていない場所。
あの事故の知らせ以来___。

「悩みがおありでしたら、お聞きしますよ」
風に乗って車掌の声が聞こえた。

ガラスがはまっていない窓の淵に頬杖をつき、またぐるぐると同じことを考える。
何故先輩が事故に遭わなければならなかったのか。
彼は自分の憧れだった____。

「俺、俳優2年目なんですけど。
仕事のこととか何にも分からなくて、本当に俺なんか必要なのかな、って思ったりして。
…こんな話、車掌さんにしてもしょうがないですよね。すみません」

ふっ、と空気が揺らぐ。
こちらに背中を向けたまま、車掌さんが微笑んだのが分かった。
「お客様の話を聞くのが仕事ですから。
なんでもお聞きします」

その優しい声に、思わず口を開く。
「俺の、憧れの人だったんです」
彼は高校の部活の先輩だった。
3年生といえば、まだ入部ホヤホヤのひよっこには到底手の届かない存在。
それでも彼は、誰でも平等に扱った。
器用な奴も、不器用な奴も。

俺とも同輩と接するように話してくれて、右も左も分からない俺を丁寧に指導してくれた。
そしていつしか彼は、俺の憧れの存在になっていたのだ。
彼のようになりたかった。
彼を、追いかけていた。