不眠症 (ページ8)

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アップライトの蓋を閉じ、その傷だらけの胴体をハンカチで撫でていたAは、俺の提案ににっこりと、実に嬉しそうにうなづいていた。

『うん、また会おう。』

本当のところ、俺はこいつの笑顔に惚れていたのかもしれない。

それからというもの、俺とAは週に1度のペースであの元音楽室に足を運ぶようになった。

お互いの塾の都合で、会うのはいつも火曜日の放課後だった。

月、水、金の放課後は塾。火、木、土の放課後は友達とそのへんをブラブラして、でも結局は家に帰って勉強。

まさに典型的な受験生だった俺の毎日は、Aとの出会いによって少し変わった。

モノトーンの日々が急に色付いた。

というと、まるで俺らが恋愛ドラマ主人公のようだけど、語り合う内容が不眠症という重いテーマだったのでなかなかそんなムードにはならなかった。

しかも、Aの不眠の原因である家庭事情は毎週毎週、会う事に恐るべき展開を繰り広げていたのだ。

『ママ、やっと愛人と手を切ったみたい。でも相手は納得してなくて、時々無言電話とかがかかってくるの。夜中の1時とか2時とかに。もう私ますます眠れなくて…。』

と言っていた次の週には、

『うちに脅迫状が届いたの。多分ママの愛人から。それでパパが激怒しちゃって、愛人のアパートに怒鳴り込んだのね。これ以上ママに付きまとったら警察につき出すぞって。それでやっと愛人も諦めたみたいなんだけど、でも今度はパパの方が会社の若いOLと…。』