【WT】貴方と紡ぐ【短編集】 (ページ30)

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sm/大好きな君へ。ページ30

※ちょっぴり流血表現あります

いつもと何も変わらなかった。
彼が激情した。行き場のない彼の深い怒りと悲しみが溢れ出して、私の殻を粉々に砕いていった。そして最後に抱き締められる。世界一大切なものに触れるみたいに。
いつもと何も変わらない。何も変わらないけれど、変わらない日々も重なって、重なって、積み重なって、少しずつ確実に、変わらないのに、何かが自分の中で欠けていく心地がする。
少しずつ欠けて、破片は繋がらなくて、そして、跡形もなく消え去った。

「……、泣いてんの、A」

涙が零れて、彼の肩に大きな染みをつくる。私にそう問いかけた声は、彼のか弱さの具現のように小さく震えていた。
涙で視界が歪み、彼の顔が上手く捉えられない。けれど、分かる。彼がどれほど傷ついた表情をしているか。私を傷つけた分だけ彼も傷ついているのに、私だけ泣き逃げなんて許されないのに、感情がとめどなく溢れてくる。

彼に顔向け出来ないからと俯いたところで、彼の体温が離れていった。彼は私に失望しただろうか。顔を上げた時、彼はどんな眼差しで私を見るだろうか。彼に見限られるのも、彼の表情を見てしまうのも、現実を直視するのが恐ろしくて暫くただ床を見つめていた。涙の跡が涙を呼び、確実に大きさは広がっている。

「A」

「A、顔上げてくれ」

「…頼む」

彼の懇願が三度耳に入って、漸く私は首元を動かした。壊れた玩具のように恐る恐る視線を上げると、その先には確かに傷ついた彼と、鈍い銀色の光。
己の運命を悟った。それでも、受け入れる心の準備は整っていた。

私が認識したのを確認すると、彼は予定調和のように私の胸を突き刺した。躊躇いが無かったと言えば嘘になる。それでも彼は、刺しては引いて、刺しては引いて、返り血など気にも留めない様子でそれを続けた。私も徐々に感覚が鈍くなって、臙脂色が涙跡を覆うのをそっと見守っていた。

数秒だったのか、あるいは数時間だったのか。
やがて彼は満足したように手を止めると、倒れ込む私の頬に手を添え、そっと唇を重ねた。ただそれだけで彼の想いが伝わる程、なにより優しいキスだった。

「来世で…は、出会いたくねぇな」

嗚咽の交じったその言葉は、吐き捨てられて消えてゆく。

うつろになる意識の元、最後に目に入った彼の涙が、酷く痛んで仕方がなかった。