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「大野智です、よろしくお願いします…」
あまりに静かなので、なぜかボソッと自己紹介をすると、小さく笑い声が起きた。
これに少し緊張が解れ、ピアノのイントロが流れ出すと、自然と歌声を重ねていった。
今日は秘策があった。
最初の曲はジャズ風にアレンジしただけの、みんなが知っている有名なポップスだったのだ。
だから掴みは早いはず。
店長は俺がすぐ覚えられるように、そういう有名な曲ばかりを選曲してくれたのだ。
次第に滑らかに歌詞を紡げるようになると、あとは簡単。
もう音程なんか気にならない。
ジャズは自分の歌い方次第でいくらでも音程なんか変えられる。
それがうまくハマったとき、初めて自分がジャズを歌っているという感覚になれる。
ピアニストが俺の歌に合わせて弾いてくれるからすごく歌いやすくて、ボルテージが上がっていく。
ふとお客さんのほうを見ると、最初の鋭い視線からは一転、じっくり聞き入るように頷きながらこちらを見ていた。
手拍子をしたり、歓声を上げるだけがライブではない。
今回のステージで、そんなことも教わったような気がする。
「大丈夫か？」
帰りの車中、過ぎ去る街灯の景色を横目に、ぼーっと何を考えることもなく窓ガラスを見つめる。
ステージが終わると、緊張が解けそのまま腰を抜かしてしまった。
もうこのあと撤収作業などしていられないと判断し、店長は帰って休んでいいよと言ってくれた。
松岡さんはすかさず俺の腰を支えると、自分が送っていくと言って車に乗せてくれた。
落ち着いた今も、あの静かなステージをどうやって切り抜けたのかわからない。
変な歌声になったかもしれない。
顔も緊張で強張っていたかも。
でも、やり遂げたって感覚はあったから、きっと成功したのだろう。
「今回のステージ、打診したのは俺だ」
「…え、」
「これが最終判断だと思ったんだ。正直俺も年中無休で才能のある歌手を探しているからな。期限をつけず待てるものじゃない」
松岡さん、偶然とはいえ俺のために今日のステージを組んでくれたのか。
だから、マイケルに歌わせなかったんだ。
まだ胸がドキドキしている。
翔くんにも、見てほしかったな。
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作者名：京
| 作成日時：2020年8月16日 14時
