勿忘草 (ページ3)

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Ⅲ ページ3

俺の世界の登場人物は貴女だけで

他は何を手放しても構わなかったんだ──

ふと足先に感じる

冷えた空気。

だんだん視界が慣れてきて

ベランダのカーテンが

揺れているのに気づいた。

逃げるそれを捕まえ

ガラスをゆっくり動かすと

煙たさの中にほんのりバニラを隠した匂いが

鼻を掠めた。

“ 戻ろ？ ”

貴女はそう言って

指を絡めきゅっと握ってくる。

天然なのか策士なのか

恐らく後者だろうが

そんな誘いに呆気なく乗ってしまうほど

貴女と過ごせる時間は残りわずかだったんだ。

貴女から香る桃の匂い

それはきっと

この前の誕生日に渡したやつで

今来ているパーカーだって

俺にはやけに見覚えのあるものだった。

それだけで

たったそれだけのことで

一瞬にして崩れそうになる笑顔を

俺は必死に貴女の首筋に隠した。

貴女の指が

俺の茶髪をそっと掬う。

鈍感な貴女は

きっと何も気づいていないのだろう。

そのほうが

これからの貴女のためになることも

とうの昔に理解してたはずだった。

貴女の名前を何度も呼ぶ

“ その甘いのすき ”

俺がさりげなく呟いたあの日から

一度も煙草を変えてないこと

本当はずっと前から気づいてた。

貴女の声色を何度も確かめる

どれだけ過去が脳裏を過ぎっても

結局最後に思い出すのは

貴女の笑顔だけで、

貴女の姿を目に焼き付ける

貴女の手が頬に触れる。

気づいた時にはもう遅かった。

それが俺の前髪に近づくより早く

ありったけの想いを

貴女の華奢な腰にぶつけた。

どうか

どうか貴女がひとりぼっちで

泣かないようにと

印をひとつ首筋に咲かせた。