32.Atsuto side ページ32
彼女は狂ったようにリハビリに励んだ。
休めと言われても毎日のようにリハビリ施設へと通い、家でも常に動かぬ右手と向き合う。
だが其れは何も不思議なことではなかった。彼女はラフマニノフやショパン、サンサーンスにも、いつでも寝食を忘れて没頭してきた人なのだから、こうなることは予想出来ていた。
いや、というより、
一日の大半をソファに座って過ごすようになった彼女は、それしか持て余した時間をやり過ごす方法を見つけられないようだった。
あの事故以来固まったままでいた右手が、そんな彼女の執着にも似た想いに応えてくれたのは、リハビリを開始してから一ヶ月半が経った時のことだった。
相変わらず朝から右手に向き合い続けて迎えたある夜、ほんの僅かに指が曲がったのだ。
何かを掴める程に曲がったわけじゃない。本当に僅かに、人差し指の第二関節が反応しただけ。
でも、彼女も俺も歓喜した。行き先の見えない暗闇の中に、ようやく一筋の光を見つけられたような気がしたから。
二人で笑い合ったのは、あの事故以来のことだった。
其れが束の間の幸福でしかなかったなんて、その時はまだ知らなかったのだ。
何も見えない暗闇で彷徨っているよりも、遠くに見える光に一歩も近づけず足踏みしていることの方が、彼女の恐怖と不安を煽ってしまうだなんて、俺たちはまだ知らなかったのだ。
ーー ガシャーン
突然鳴り響いた音で目を覚ました。
枕元のiPhoneを見れば、時刻は午前7時。
まだカルラは来ていない。隣に居たはずの彼女の姿は、無い。
こんな目覚めは初めてではなかった。
「…あ、」
キッチンに充満した空腹を誘う香り。
でも其れは慣れ親しんだ彼女が作ったものではなく、カルラが作り置いてくれた、筑前煮の匂い。
「ごめんなさい。早く目が覚めたから、朝食の準備しようと思って、」
電子レンジの下には、飛び散った筑前煮と、割れた皿。
「起こしちゃったね、…ごめん」
また固まってしまった、右手。
「…ごめんなさい」
謝る彼女。
篤「…無理しなくていいって。自分でやるから」
「…ごめんなさい」
今にも消えてしまいそうな顔で、自らを嘲るような声でそう言われると、いつも気が狂いそうになった。
ーーーtrauervoll…
<あ、ケルンならあのチョコレート買ってきてくれてもいいよ?>
ーー
悪いのは、俺なのに。
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ぶたさんなの。(プロフ) - 昨日、今日と2日間かけて一気読みしました笑とても素敵な作品で浮気疑惑のところはやられたーって思ったりピアノの話になるたび私も練習しないとと思わされます笑 この作品は私の中で大好きな作品の1つになりました。 (2015年7月31日 23時) (レス) id: fb6db84d89 (このIDを非表示/違反報告)
おりん(プロフ) - laizさん、返信ありがとうございました!!ヒロインと内田さんの楽しそうな笑い声が聞こえてきそうなシーン…嬉しいな〜!幸せそうな二人を見れて一安心…ここでスカルのベビー服!?内田さんもイカついの着てましたね!思い出して笑っちゃいましたよー(笑) (2015年6月16日 1時) (レス) id: 865a51165f (このIDを非表示/違反報告)
aquayu(プロフ) - 更新楽しみにしていました!希望の光が見えた瞬間、涙がとまらなくなったのは、私だけでしょうか?この作品、本当に本当に大好きです。 (2015年6月5日 22時) (レス) id: ff637bb026 (このIDを非表示/違反報告)
laiz(プロフ) - おりんさん» 絶望の涙で泣き明かした夜だけど、この先に光が待っていそうな涙ですよね。思いっきり泣いて、何かが浄化してくれたらいいな。ちょっと足踏みしていた二人の背中を、「しっかりしてよ」と押してくれたのかもしれませんね^^そうそう、先程メッセージを送信しましたよ〜♪ (2015年6月5日 21時) (レス) id: 4d225c15a4 (このIDを非表示/違反報告)
laiz(プロフ) - すみれさん» 「大好き」のお言葉、動揺していた心に染み渡りました^^ありがとうございました。少し迷っていましたが、ようやく希望の光がさしてきた二人の世界、これからも変わらず執筆を続けていこうと思います。二人の、いや、三人の明るい未来、見守ってあげて下さい^^ (2015年6月5日 21時) (レス) id: 4d225c15a4 (このIDを非表示/違反報告)
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作者名:laiz | 作成日時:2015年2月7日 20時