うつせみの、君と。

１ ページ49

Aside


章大さんとの銀座でのひとときは、
それはもう、天にも昇る心地やった。

はじめての、愛しい方との逢瀬。


後ろも見ずに、
一息に大人への階段を駆け上って、
少し不安なような、心もとないくせに、

今まで生きてきたどんな時よりも幸せと言い切れる。


けれど・・・


その日の夜、
千景さんが、
大量の血を流されて、
倒れられて。

章大さんが急いで、
病院にお連れした甲斐もなく、

その３日のちに、
千景さんは、男の子を死産された。



家の中は通夜のように暗いもやに包まれて、

章大さんが、私との将来のことを、
お父様にご報告下さるというお約束も、

叶わぬまま、
もう半月が過ぎてしもた。



千景さんは、
赤ちゃんを亡くされた最初は、

お父様や女中頭のマツさんが、


「すぐに次の赤ん坊を授かる」


と、いくらお慰めしても、


「それはあの子やない、
あの子はもうおらん！
二度とこの腕に抱くことは叶わん！」


そう泣き叫んで、
気が狂うてしもたんかと見まごうほどやった。


時間が過ぎるごとに、
抜け殻のようになってしまわれて、

今はただ、無為に時間を見送っておられるばかり。

お父様も、
女中さんたちも、
どう接して良いものやら、
思案にくれてはる。


子をなくした母親とは、
あれほどに憔悴してしまわれるものなんやろうか。

亡くなったお母様も、
流産されたことがあったけれど、
いつも毅然とされてはった。


「華族の女は冷酷で、
人の血が通っておらん」と、

松下のおじい様がおっしゃってたこと、
なぜこんな時に思い出すんやろうか。


そのおじい様も、とうに亡くなってしまわれたけれど・・・


お母様は冷たい方なんかやない。

その愛情は、
言葉や温度など、
分かりやすいものではなかったけれど、

確かに私を包んでくれてあった。


ふとお母様が亡くなった２年半前の夏の、
涙に明け暮れた日々を思い出して、

塞ぎ込みそうになって、
慌てて、その思いを胸から追い払う。


昼下がり。

千景さんは、
広間の腰掛けに浅く座って、
ぼんやりと窓の外を眺めていらっしゃる。

編みかけの赤ん坊のおくるみが、
お膝元にかかったまま。


「千景さん、お身体の方はいかがですか？
あたたかいココア、お持ちしました」


お声をおかけしても、
お返事もない。


「こちらに置いておきますので、
冷めへんうちに召し上がって下さいね」

２→←１２

→ 目次へ｜作品を作る｜感想を書く
他の作品を探す