157 ページ10
「あら……なんだか、忙しそうですけれど」
「お、お嬢様〜っ！待ってました！着替えてください！どうぞ！」
「な、何がですか？か、加賀さんっ？」
わたわたと私に駆け寄って腕を引く加賀さんに落ち着いて、と声をかけながら事情を聞く。そんなに慌てるような事が起こったのだろうか？特に太客の方々は何も仰られていないと思うのだが。
しかし、それは確かに大事だった。
「……失礼致します。入っても宜しいでしょうか？」
加賀さんに着替えさせられ、髪を整えてもらいながら話を聞く。簡潔にまとめると、「音駒の監督さんがお呼びです」ということだ。何故！？と驚く私に、加賀さんも分かりません！と答えた。
理由はよく分からないが、この時間に呼ぶということはお酌か何かかもしれない。私は彼と実際に話したこともあるけれど、彼なら顔が気になったから、とも言いそうだ。どちらにせよ可能性は五分五分といったところ。
とにかくそうなったら腹を括るしかない。お客様がお呼びであれば、この旅館に恥じぬ振る舞いをするだけだ。
いつもの長い前髪をなるべく横に分けて、きちんと顔が見えるようにする。コンタクトも解禁した。練習試合で会うことになるけれど、小さな変装のつもりだった。
扉の向こうから声が聞こえたので、もう一度失礼致します、と言って向日葵の間の扉を開ける。監督さんとコーチの方は桔梗の間に泊まっているのだが、何故かこちらに呼ばれた。
音を立てないように静かに開ける。目の前に座っているのは身長の大きい方ばかりだし、勿論男性ばかりなので緊張してしまう。それを表に出さないよう、母のことを思い出す。
母ならこういう時でも毅然としている。私もそれに習わなければ。彼女の娘として、それは当然の振る舞いだ。
すっと背筋を伸ばして、正面から彼らを見つめた。
「この度は、ご来館頂きまして、誠にありがとうございます。女将の娘であります。どうぞ、ごゆっくりお過ごしください」
「……驚いたな。こんな別嬪さんが来ると思っていなかったよ」
私が唯一自信を持てるお辞儀をきちんとすると、電話口で聞いた声が私をそう褒めた。少し恥ずかしくなりながらも、私は心を落ち着けて頭を上げる。
「お世辞がお上手でいらっしゃいますね」
「まさか！世辞なんかじゃねえよ」
けたけたと笑うおじい様が、どうやら猫又監督のようだった。その近くに座っている見た事のある黒髪の人がこちらを見つめていて、バレませんように、と私は願った。
この小説をお気に入り追加 (しおり)
登録すれば後で更新された順に見れます 50人がお気に入り
お気に入り作者に追加
違反報告 - ルール違反の作品はココから報告
作品は全て携帯でも見れます
同じような小説を簡単に作れます → 作成
この小説のブログパーツ
作者名：ReG | 作成日時：2022年2月22日 21時
