溺れないでよ【シルバー】 (ページ38)

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記憶と優美ページ38

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『……入学までには、どうするか考えておきます』

どうやら谷に帰ってもゆっくりは出来ないようだ。自分の名前をどう用意するかが最優先事項。Aは少し気を重くした。
げっそりした顔色で苦笑いするAを見て、二人は少し冷静になった。トレインは申し訳なさそうに話題を変えた。

「帰りの馬車をもう呼んだ方がいい。クルーウェル先生、あとは頼んだぞ」

「……分かりました」

お互いツンとしたまま顔を逸らした。踵の音を立てながらトレインは元の進行方向へと進んで行った。クルーウェルは髪をかきあげて大きな溜息を吐いた。大人の溜息は嫌いだ。

「馬車はもう学園の前まで来ている。送ってやりたい所だが、今は手が離せなくてな」

『つまり……？』

「誰にもバレないという自信があるのなら、部活動見学でもして来い。自信が無いなら先に馬車に乗っていろ」

彼の言葉に浮かされたAは、大きく飛び跳ねそうになるのを堪えて「ありがとうございます！」と控えめにガッツポーズを取った。とっとと行けと片手であしらわれてしまったので、早足で職員室を出た後、軽い足取りで外へ向かった。
Aが気になっていた部活動は、マジカルシフト部だ。他国とはほとんど交流がなく独立した文明である茨の谷でも、魔法が普及しているが故にマジカルシフトは若い騎士たちの間ではかなりメジャーなスポーツだ。Aも幾度か手合わせしたことはあるし、なかなか良い腕前だと自負している。
しかしAには一つだけ不安にも似たわだかまりが心につっかえていた。NRCのマジフト部というと、名門中の名門。学内の優秀な生徒が集まっているほか、勘の鋭い獣人属が半数を占めるので、コソコソと嗅ぎ回っていることを知られたら最後どうなるか分からない。これはクロウリーの言いつけを守るというよりかは自分の身を守る本能だが、マジフト部の見学は控えた方が良い。

『しょうがないから、時間までブラブラ散策するか』

「あら、暇ならぜひ映画研究会を見に来て欲しいのだけど」

呼吸が止まるかと思った。こちらの気配に気づいたどころか、気配を消して近づくだなんて。どうして、と疑問の念に押されてAは後ろを振り返った。そこにはまるで美を体現したような堂々たる立ち姿の生徒が、こちらを向いて立っていた。ストリングス･アンサンブルを彷彿とさせ、どこか音楽的な雰囲気があるのは、彼の歩き方と呼吸が調和しているからだろうか。Aはその美に思わずたじろいだ。