歪んだ透明色に <htrn> ページ26
脳味噌が溶けて欲しい。簡略化されて欲しい。馬鹿になりたい。何も考えずに済む、こんなことを引きずらない、ただ自分のために生きている、馬鹿になりたい。
生憎の雨だった。最悪なのかもしれない。
敷き詰められたピンク色のカーペットも、泥に塗れて決して綺麗とは言えない。私たちの、私の、ここからの卒業はそんな中執り行われていた。
思い出を語るには言葉が少なすぎるだろう。
私には知識がない。ない、というよりも知らないの方が正しいか。
それもあるが、何よりも話せるようなものがない。それが一番の理由である。
みんなは教室で泣いているんだろうか。人並みの感情を持ち合わせているつもりではいるが、どうしても泣くことは出来なかった。
誰も使わない教室で、片付けられた数えられる程度の机と寂しく笑うことしか出来ない私。不意にドアの音がして、後ろを振り返れば懐かしい顔がそこにはあった。
｢やっぱりAだ｣
｢！…ひ、ひとらんさん…？｣
｢後ろ姿、全然変わらないね。久しぶりじゃない？｣
｢…た、確かに久しぶりではあるんですけど…え、と。何でいるんです？｣
｢ちょっと色々あって｣
そこには。もう既に学校など似合わぬ彼の姿があった。数年前とは違う、大人の姿をした彼が私の隣にゆっくりと歩いてくる。雨の音に混ざってしまうような静けさ。剣のような双眸がしっかりと私を捉えて、細められた。
その目は、飾られた卒業の文字がつく安いピンで止められたそれに向けられている。
｢卒業…ね、早いなぁ｣
｢全然実感は無いんですけど｣
｢教室行かなくてもいいの？｣
｢…もう帰っても構わない時間ですから｣
少し苦い香りがした。足元に視線を落とす。
大人なんだな、憧れに似た感情が私の思考を溶かした。
いつだったっけ、彼の隣で歩いてみたいと思ったのは。胸ポケットから見えた大人の証に、柄にもなく嫉妬する。
｢親戚に会いに来たついでに、俺達が使ってたとこ見てこーって思ったらAいて、少し驚いた｣
｢…私の方が驚きますよ、本来は居ないはずの人がいるなんて｣
顰めた表情が映し出すのは怒りではないと思う。むしろ、楽しいとか。自惚れみたいで気持ち悪くなって、また足元を見やった。
｢もし今帰るなら送ってくよ｣
｢…ありがとう、ございます｣
それこそ、彼が卒業生だった時の話だ。
私は、手紙の最後の一文に｢好きです｣とは書けない臆病者になった。代わりに書いたのは、なんだったっけ。
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