【QK】透明色の感情を愛と呼ぼう【ymmt】

カウンター越しに見える世界 ページ10

何も気にしてないことを伝えるように僅かに首を横に振ると、彼らは再び視線をグラスに移した。

危なかった。本当はこの場で彼の名前を呼んだことは一度たりともなかったが、彼らが私の発言を素直に受け入れてくれたおかげで命拾いをした。しかしこの調子で行けば、一時間後くらいにはうっかり動画で得た知識を披露してしまいそうで、私は何だか怖くなった。

「とっても美味しいです。何から作られているんですか。」

少し横道に逸れてしまった会話を軌道修正するように、伊沢さんが口を開いた。見上げた目つきは一重との相乗効果で特有の鋭さを含んでいるものの、瞳の奥から優しさが滲み出ていて一切の威圧感を感じない。このルックスと素敵な性格で、一体何人の女性を泣かせて来たのだろう。

「スパークリングワインと、黄桃のジュースです。食前に好まれる一杯なんですよ。」

私の言葉に、彼らは揃って興味深そうに相槌を打った。きっとこの知識はコア過ぎて、バーテンダーにでもならない限り披露する場はないと思うけれど。それでもまあ、一瞬でも頭の片隅に知識として入れてくれたことが、私にとっては最高に嬉しいから良いや。

「Aさん、もう一杯お願いします。」

幸せな空間に浸り続けようとする私に警鐘を鳴らすように、カウンターに座る常連さんの声がした。

「かしこまりました。」

ああ、もう少しだけ彼らと話したかったな。そんな思いを持ってはいけないけれど、こんな奇跡ともう二度と巡り合うことが出来ないと分かっているからこそ、切なくて仕方がなかった。動画クリエイターならこの様子に、タイトルに神回と入れたり、サムネイルに奇跡と書いたりするのだろう。

頭を下げて彼らのテーブルから立ち去り、私は再び定位置に戻って来た。常連さんと他愛もない会話を繰り広げながら、私は丁寧に仕込まれているピザ生地を取り出し、慎重に窯に入れた。

「だから、妻とはもう別れるから…。」

奥のテーブルに座る男の言葉が耳に入る。女は怒りに満たされた表情をしていて、修羅場と言う言葉が良く似合っている。頼むから、グラスや皿を投げたりだけはしないでくれ。

遠くのボックス席にふと目をやると、彼らはグラスを片手に楽しそうに笑っていた。疑ってはいなかったけれど、仕事外でも本当に仲が良いんだな。

ビジネスとプライベートの両方で付き合う人間が、いつか私にも出来るのだろうか。まあそれを悩む前に、さっさと就職しろって話だけど。

どうやら頂上は目前らしい→←扉を叩く音は立てない

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