検索窓
今日:1 hit、昨日:23 hit、合計:146,152 hit

その距離感を蹴飛ばして ページ29

意外や意外。振り向くと、そこには恐る恐るドアを開ける須貝さんの姿があった。

「ごめん、まだお店やってる?」
「勿論でございます。」

私は迷うことなくそう返事をした。さっきまでの野暮な考えは一瞬で消え去った。須貝さんとなると話は別である。最近あまり来店することの無かった彼の来店を、私は密かに喜んだ。

「ありがとう、お邪魔します。」
「いらっしゃいませ。」

そう言って私は、賞味期限が迫っている生ハムを開封した。どうせ廃棄するなら、チャームとして多くサービスする方が誰にとってもプラスである。

「須貝さん、今日もずっと残業してたの?」
「まあね。ちょっと勉強してただけよ。」

山本さんが食い気味に問いかけると、須貝さんはぎこちない笑顔でそう答えた。いつもの活気がない。何か理由があるのは、すぐに分かった。そしてこの一度の会話で、彼の残業が今日に限った話ではないことも理解した。

「Aさん、ウイスキーカクテルを下さい。」

何か言いたげな山本さんを隣に、彼は目の前に立つ私にそう声を掛けた。

「甘さなど、何かご希望はございますか。」
「いいえ、Aさんにお任せします。」
「かしこまりました。少々お待ち下さいませ。」

たった二往復の無機質な会話を終えると、再び店内には静寂が巻き起こった。身体は自由に動かせているのに、何だか縛り付けられているような窮屈さ。小綺麗に盛り付けられた生ハムは、早速須貝さんの口へと運ばれていた。艶のある檸檬を手に取った視界の隅では、その表情を伺うことは出来そうにない。

「…僕、そろそろ帰ろうかな。」

沈黙に耐えかねた彼が、控えめな声でそう呟いた。秀麗に佇んでいたカシスオレンジは勢い良く飲み干され、氷がカランと音を立てる。友達とは言え、職場の上司だ。まして繊細な人柄の彼には、須貝さんの心に土足で踏み込むことは出来ないのだろう。

ピアノミュージックを掻き消すように、床と椅子の脚が擦れる音が響き渡る。今にも別れの言葉が聞こえて来そうな時、私は檸檬を切る手を止め、顔を上げた。

「須貝さん、何かお悩みですか。」

微笑みと共に咄嗟に出たその言葉は、まるで練習していたかのように穏やかに発された。深夜にこの店へ足を運んでいる以上、何か話がしたいと思っているに違いないだろう。そうでなければ、わざわざ見知った私やQuizKnockの誰かがいる場所を選ばないはずだ。ただ静かに感傷に浸るには、この店には不都合が多すぎる。

深い闇にも朝焼けが見える→←たった一つの大きな幸せ



目次へ作品を作る感想を書く
他の作品を探す

おもしろ度を投票
( ← 頑張って!面白い!→ )

点数: 10.0/10 (145 票)

この小説をお気に入り追加 (しおり) 登録すれば後で更新された順に見れます
300人がお気に入り
設定タグ:QuizKnock , QK , ymmt
違反報告 - ルール違反の作品はココから報告

感想を書こう!(携帯番号など、個人情報等の書き込みを行った場合は法律により処罰の対象になります)

ニックネーム: 感想:  ログイン

萌衣(プロフ) - akiakiさん» 初めまして、コメントありがとうございます…!ニコラシカは「決意」「覚悟を決めて」というカクテル言葉を持っており、その後の展開を示唆するような存在になっていました。そう言って頂けてとても嬉しいです(;;)良ければ続編もよろしくお願い致します…! (2020年12月4日 7時) (レス) id: ba6d0efe33 (このIDを非表示/違反報告)
akiaki(プロフ) - 少し遅れましたが、心打たれたので感想を書かせていただきますね。“決意”ですか。良いですねぇ (2020年12月3日 23時) (レス) id: 9ea9a75c9d (このIDを非表示/違反報告)
萌衣(プロフ) - みるくてぃーさん» 初めまして、コメントありがとうございます…!実は主人公が選ぶカクテルは、全て思いや感情とリンクするように描いていました。それに気付いて下さって、更に調べて下さるなんて、嬉しい限りです(;;)長くなりますが、良ければ完結までよろしくお願い致します…! (2020年11月14日 8時) (レス) id: ba6d0efe33 (このIDを非表示/違反報告)
みるくてぃー(プロフ) - コメント失礼します!カクテル言葉、存在を知ってはいましたが、ひとつずつの意味を知るのは初めてで調べることも楽しかったです(*^^*)また更新楽しみにしています! (2020年11月13日 22時) (レス) id: c5c88d3947 (このIDを非表示/違反報告)
萌衣(プロフ) - たーさん» 初めまして、コメントありがとうございます…!この作品が毎日の楽しみの一つになれているなんて、とっても嬉しいです(;;)素敵なお言葉、本当にありがとうございます。長くなりますが、良ければ完結まで見守って頂けたら嬉しいです…! (2020年11月10日 23時) (レス) id: cd279427a1 (このIDを非表示/違反報告)

作品は全て携帯でも見れます
同じような小説を簡単に作れます → 作成
この小説のブログパーツ

作者名:萌衣 | 作者ホームページ:   
作成日時:2020年10月21日 16時

パスワード: (注) 他の人が作った物への荒らし行為は犯罪です。
発覚した場合、即刻通報します。