第175話 ページ36
そうだ…椿さんが捕まったこととか、証拠が見つかったこととかで、すっかり忘れていた…
こいつは──僕を、
それは遡行軍にいた時からで、奴は遡行軍の本丸を訪れるたびに、僕を肌寒い鍛錬所の隅で組み敷いて…
"「本来なら、霊力が尽きた審神者は処分されるが──」"
"「お前にその時が来たら、特別に私の所有物にしてやろう」"
首を這うぬるりとした生温かさと、圧迫された下腹部の苦痛を思い出し、呼吸が乱れる。
視界が歪んで、揺らめいた脳では真っ直ぐ立てずに、力を失った脚はいとも簡単に地に崩れ落ちた。
すると…そんな僕を背に立ち塞がり、長義が至極不機嫌そうに声を低めた。
「睡蓮殿…まだ彼は重要参考人だ。その罪が立証され次第、元帥の指示で適切な処罰が下される。…私的な暴力は、貴方も罪に問われるが?」
「あぁ、すまない…こいつが歴史修正主義者の間者としてこちらに潜り込み、これまで数多の優秀な審神者たちを奪っていったかと思うと…どうも、怒りで己を忘れてしまったようだ。失礼したね」
そんなわかりきった嘘を堂々と言ってのけた睡蓮を睨み上げる。
けれど、その視線は長義の背に阻まれた。
かと思えば、突然二の腕を掴まれて引っ張り上げられ、立ち上がった拍子にそのまま引き寄せられて肩を抱かれる。
驚いて引っ張り上げた張本人を見上げると…見なきゃよかったと後悔するほど、氷のように冷えた目を山なりに細めた三日月がそこにいた。
「睡蓮、と言ったか。
こやつは我らの主を奪い去った、いわば仇のようなもの…
我らとて、そのような者をこうして生かしておくには、臓物が煮える思いを寸のところで押し留めておるところだ…
あまり、我らを差し置いてこの者に手を下すのは控えてくれぬか」
「ぅ…」
するり、と籠手に包まれた三日月の長い指が、僕の首筋をなぞる。
大きな三日月の手は、軽く添えただけでも僕の細い首を掴めてしまった。
けれど…睡蓮に触れられた時のような、気持ち悪さは感じない。
はたから見れば、今の僕は三日月に緩く首を絞められて、脅されているように見えるだろう。
しかし実際は、三日月の手のひらから彼の温かな霊力がじんわりと送り込まれており、その温かさに早鐘を打っていた脈動が正常な速度に戻っていった。
…そうだ。僕はもう、一人じゃない。
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作者名:寒蘭 | 作成日時:2023年12月2日 0時