愛欲は戦争、狂気は耽溺【kgm】【njsj】

弱体 ページ17

．

走って、走って、走って。
それからどれだけ走ったことかわからない。一瞬だったかもしれないし、永遠の時のようにも感じられた。呼吸を乱しながらもがむしゃらに、逃げるように走り続けて。ふらふらとたどり着いた先は自分の家だった。あぁ、家だ。知らずにつめていた息を小さく吐いてぼんやり見上げる。時間などそんなに経っていないはずなのに、何故だかすごく懐かしく感じてしまう。
急いで家の中に入り乱暴に鍵を閉める。静かで冷たい玄関の中、はぁと息を吐いて座り込んだ。かしゃりとビニール袋が落ちる音がしたことにも気を配る暇はなかった。
(なんで、こんなに弱ってんだろ。元カレに会っただけなのに)
理由は、なんとなくわかっている。わかっているけれど、認めるのも癪なところがあるというだけ。もう、誰かに無理矢理縛られたくないのだ。なにも言えず頭を下げて歯を食いしばるだけなんてもうごめんだ。社畜時代の思い出が頭を浮かんでは消えていく。もうそんなことに囚われるはずはないのに嫌だ、嫌だと叫んでいる。
ショウや女の子は、きっと搾取することを躊躇わない人間だ。そんな人間は周囲に無遠慮に手を伸ばして、下品に啜っていらなくなったらゴミにする。そういう人々を、今まで何度も見てきた。そしてそれによって精神を病んで去った人も知っている。
(私は、あんなふうにはなりたくない)
ぽたりぽたり。気がついたら涙が出ていた。なんで。驚愕すると同時になんとなく納得もした。あぁ、「今までよく持った方だ」とかかっこつけたこと言っておいて、結局私も精神を蝕まれてたのか。あの会社に囚われたままなのか。誰かに縛られて一生を言いなりで終えるなんて嫌だ。
そんなことを思ってしまう自分がどうしようもなく、情けなかった。

焚き火が跳ねるような調べが聞こえた。ドアが乱暴に開く音にふっ、と顔を上げる。ばたばたと音を立ててこちらに寄ってくるのは、ミルクチョコレートの髪を揺らめかせて翅を広げる天使だった。飴色の瞳がどこか焦りを感じさせて、しーしーという荒々しい呼吸音が激しく耳朶を打った。てんし、と漏れた声は情けなく震えている。視界に入ったその美しい生き物は、瞳孔を際限なく開いてぶわりと空気が逆立つような緊迫感を纏っていた。彼は座り込んでいる私をみとめると、すうと表情を無に変える。
目の前でふわり、と彼の神官服が広がった。髪がするりと解けて、顔にかかるほど近い距離で見つめられる。
目を見開くと天使は、口を開いた。

朝→←支配なんてされたくないのに

→ 目次へ｜作品を作る｜感想を書く
他の作品を探す